(2)ことば

解説
「そんなことは考えたことなかったな。。」 途中で思わずつぶやいてしまっていますが、「ことば」というシステムと自分との関係を見直す、音声を聞いてもらえばわかると思いますが、このことがなかなかイメージできず、何度もピントのはずれた質問をしています。

「ことば」自体のもつ基本的性質として、物事を細かく区別していこうとする傾向がある、ということは、そういえば確かにそうだ、という気がします。ことばそのものが、共通点より違いに目を向けさせる性質を持つ、ということ、意識したことがありませんでした。

情念とことば。ことばが情念を増殖させる作用を持つ。情念にことばを乗せると、情念がことばに刺激されてどんどん増殖する。それは好ましいことか。怒りや心配のような情念の場合は好ましくないだろう。

メンタルブロック - 特定のことばを聞くと激しく情念を刺激されるときに起きていることは何か。ひとによってどんなことばを聞くと感情的になるのかは異なる。それが意味することは何か。 
- 考えるに、人によって特定の「ことば」に偏見、こだわり、記憶などがが張り付いてしまっているのだろう。つまりは記憶だろう。特定のことばを聴くと、そのことばに連動してある記憶、いやな体験などが自動的に想い起こされてしまうのではないか。
そしてどうしてそのことばとその感情がむすびついたかを考えると、たぶん、そのことばを自分に吐いた人がそのことばにどういう情念を乗せていたかに由来するだろう。


インタビュー(2)ことば


吉福:
ことばとの関係性も、もうちょっと我々がことばというもののシステムのもっている性質をしっかりと見極めていけば、ことばに使われないでことばを使えるようになる。というふうにぼくは見てるんだよね。

あなたがさっき「頭の中で勝手に不安がめぐるんです」って話してたでしょ?それなんかもことばにもう操られてるんだよ。ことばのもっているマジックに操られているんだよ。だから不安の増殖が起こるんだよね。

伊藤:どういうことですか?

吉福:
考えてごらん少し自分で。全部聞かないで。考えてみればわかっていくと思うけど、ことばに関してはね。今の我々が使っていることばっていうのは、どういうふうに説明をすればいいかね。。的確なことばを、ひとりひとりの人が使いきれないことによって、「経験」との関係がすごく悪くなってるんだよね。様々なことを経験するじゃんか。それで、「経験」というものを我々は多くの場合、言語化して持ち歩いてるんだよね。

わかるかな?言語という形にして経験を語ったりしながら、持ち歩いているんだよね。でも、ことばで語る経験っていうのは経験の1%にも満たないもんだとぼくは見ているんだよね。

伊藤:1%にも満たない?

吉福:
満たない。経験そのものの全体性を考えた場合。ということは、自分が経験していくことばの中の自分がもっとも都合がいいものを抽出して我々は持ち歩いているんだよ。

都合が悪いものは見ないようにフタするんだよね。そういうのを「トラウマ」って呼んだりするんだけどね。そういうのは非常に不健全なので、そうしたことばの持つ役割を変えさせる。

ことばの持っている基本的な性格としては、ものごとをもうできうるかぎり細かく区分して切り刻んでいって、一個一個の細かーいものに次から次へと名前を与える、ことばを与えることによって、ことばって広がって大きくなっていくんだよね、システムが。それわかるでしょ?

(ライターを指しながら)たとえばこれをライターって呼ぶよね?ライターってことばがない場合、我々は火をつけるものだというような意味合いで理解してるよね?でも名前をつけていくとこれをライターといって、ライターとは何かということを聞かない限り、そういう火をつける道具ですよ、ということばにはならないよね?で、そうやって「ライター」となると、火をつける道具であって、これはいったい何ができてっていうこととは関係ないでしょ?ねえ?
どんどんそういう新しいことばを生み出していって、新しいものが何か世の中にでてくれば出てくるほどどんどん新しくでてくる。

人間関係の関係性の中でも、これまでそのひとつの言語体系の中で経験されたものとは思えないようなものが出てくると新しい意見が出てきたりしていって、ことばはどんどんどんどん数が増えて、細かく経験を切り刻んでいくために使われるんだよ。
で、もうね、とめどなく広がるんだよ。ことばは。ことばは完全に生きているから、時代時代で変わってくるんだよね。時代のもっている気配のようなものを全部持つんだよ。最近の日本の若い高校生達がさ、そのなんだっけ?いろんなことばつくってるじゃない、短くしていって。どんなことばがあったっけ?いろんなことばつくってんじゃん短くしていって。どんなことばがあったっけ?高校生がしゃべってるのがあるでしょ?

キモイとかさ、いろいろあるじゃない、ああゆうようなことば?もうあれは生きてるからこそ生まれてきてるんだよね。
で、例えば僕なんかの年齢の人にとってはさ、違和感のあることばなんだよ。でも何度か聞いてるともう自然にぼくも使えるようになってくるから。くるようなものじゃんことばっていうのは。そういうような性質をもっているから、その気配ってのはあれなんだけれども、生きて動いてはいるんだけど、やはり基本としては、その「キモイ」なんてことばなんかもね、新しくつくられたことばじゃない?「気持ち悪い」それが「キモイ」ってことばになっただけだけどもね、どんどんでてくるんだよ。

その、分割して細かくしていって、ものごとの違いをクリアーにしていく、がことばの役割だから。もともと当然そうだよね?だけど我々はその傾向に振り回されてんだよ。広がってどんどん分岐していってバラバラになっていくんだよ、それに引っ張られていってんの。で、そのバラバラになっていくことの原点にすべてがどドンどひとつであるような共通が見逃されてんだよ。
ことばは物事を識別することによって、識別するときには違いを見るんだよ。わかるかな?違いがないと識別できないでしょ?で、違いに目を向けて、新しいことばが生まれるでしょ。だけど、物事ってのは存在しているのは違いだけじゃないよね?共通点が存在しているじゃんか。その共通点のほうはたいして取り上げられないんだよ、ことばが生まれるときに。

例えばさ、(ふたつの種類の異なるボールペンを指して)これとこれが、筆記用具だよね、ボールペンだよね、両方とも。ボールペンだよね、だけど、あの、これ、ボールペンの共通点あるじゃんか。透明なボールペンと、透明じゃないボールペンと言うと、これとこれは完全に分かれるよね、これ透明、これ透明じゃない、分かれるよね?
で、ボールペンってことばをつけなれけば、ボールペンってことばをつけるからこそ共通点が見えるんだけど、(二つのボールペンをそれぞれ指して)透明と不透明、共通項がでてこないでしょ?

伊藤:はい、出ないですね。

吉福:
ことばってそういう働きするんだよ。で、我々の魂がどんどんどんどん切り刻まれていって、ばらばらばらばらになっていって、その本来がひとつなんだ、これは同じボールペンなんだ、同じ機能をするもんなんだ、っていうようなことは置き去られていくんだよ。
こういう風にいうとバカみたいに聞こえるかもしれないけれど、抽象的なことに関してはもっと激しくそれが起こってるんだよ。わかるかな?分岐してどんどんどんどん増殖させていって細かく切り刻んでいって、要するに物事の違いにばっかり目を向ける、差異にばっかり目を向けるということばの持ってる傾向に、我々は支配されていて、魂がばらばらになってんだよ。一緒に。ことばに自分を預けた人は。

伊藤:魂がばらばらになっている?

吉福:
ひとつであるところに、共通項のほうに目を向けず、違いにばっかり目を向けていくと、(まわりのいろんなものを指しながら、)違う、違う、違う、違う、違う、ってものを見るのと、同じ、同じ、同じ、同じ、同じ、と見るのとでは全然変わるんだよ。

伊藤:あー、うん、それはわかりましたね。

吉福:
わかるかい?その違いの持っている傾向が、我々を苛んでるとぼくは言ってるんだよ。

伊藤:じゃあ言語自体がもってる。。

吉福:基本的傾向。基本的が、我々の心をバラバラに切り刻む方向になってるんだって言ってるんだよ。

伊藤:そうすると、その問題っていうのは時間的タームでいうと、数千年とかそうことですか?

吉福:
言語の発生から始まってるんだよ。言語の発生から始まってて、われわれが言語を使うようになってから始まってて、文化と一緒だよ。で、最初のうちはそれなりにもともと本来の役割があって、十分な機能を果たしていた。ところが、その機能とは違う側面も大きくなってくんだよね。

伊藤:過剰に区別しだしたってことですか?

吉福:
いや、ことばのもってる傾。。過剰に区別し?。。いや、区別することはかまわないんだよ、ことばのシステムにとっては。本来それが役割なんだから。それとの関係なんだよ人の。

伊藤:関係?

吉福:
言葉を使う人の関係でって言ってるんだよ。言語は物事を細分化して差異に目を向けることによって細かい区分、分別をしていく、という働きをするシステムじゃない?そうでしょ?
だけど、その底には共通項があって区分するんだっていうね、そのことをきちっと頭の上においておけば言語は問題ないんだよ。問題をつくってるのは我々なんだよ。我々が言語とどういう関係を結ぶかっていうときに、言語が持っている、差異にばかり目をむけて物事をバラバラにして細かくして細かくしてどんどん増殖させていく、ていうことばのもっていく傾向をしっかりと自覚しておかないと、そのことばの本来持っている傾向そのものに、ことばを使って物事を考える人というのは、確実に流されていく、ってぼくは言ってるんだよ。わかった?

伊藤:はい。。わかってます。えー、じゃあ、ことばはそういう傾向があるってことをはっきり自覚して使わないといけないってことですか?

吉福:
使われないとね。ことばに使われないようにしてね。使っていけば、ことばってのは有用だってね。でもことばはあくまでもことばだからね、それはしっかり押さえておかないといけないよ。もちろん日本のような国なんかでは言霊なんていうさ、概念があって、言語のもっている音だけではなくてね、鼻声だとかさまざまなもの、よりさまざまなものが付加されてるんだけど、ぼくは言霊?というのはね、要するに、ことばが一体何かっていうことなんだよね。
そのあたりのところから変えていかなきゃいけない。
やっぱり哲学の歴史があってさ、ロゴス、言語が、西洋のさ、大きなものではさ、はじめにことばありき、だとかね、さっき言ったみたいに、思考に関してもおんなじだよね、人は考える、そのへんのことがボーンと前提としてでてるよね?ぼくはそうだと思ってはいないんだよ基本的に。

はじめにことばありき?ということは、ぼくははじめにことばがあったとは思うんだよ、ね、はじめにことばがあって、それが一体何をいわんとしているかというと、本来は言語というものの存在のことをそれは語っるんだけど、ぼくははじめにことばはあった、ことばは初めにあるべきものであって、で、そのあとずーっと続くこういう綿々と我々を支配していくようなものではないと思っているんだけど、西洋的なことばの捉え方と、西洋哲学的なことばの捕らえ方と、ぼくの捉え方はまったく違うと。ぼくはことばとね、離婚してるんだよ。何度も。ことばのシステムを自分で崩壊させるっていうことを何度かやってきてるんだよ。それぐらいことばとは何度か離婚してきてるんだよ。

伊藤:なんかその、ことばが意味するものを疑うってことですか?自分のなかであることばが。。

吉福:うん、ぼくが言ってるのはね、ことばとの関係なのよ。内容じゃないんだよ。ことばとどういう関係性を自分が持つかということ。そういうことをいってる。

伊藤:あー、ことばというひとつのシステム。。

吉福:でしょ?

伊藤:はい、それをどんなシステムにするかじゃなくて。。

吉福:うん、そのシステムと自分がどういう関係をもつか。

伊藤:そんなこと考えたこともなかったな。

吉福:
いやー、それをしないとことばは我々の中であらゆるところに行き渡ってるから。ものごとを考えたり認識するときに、我々はその物事自体と実際に触れる前にもう言語化してるんだよ。わかるかな?
こうやってさ、これ置いてあるじゃん。(たばこを置いて)こうするじゃん、見たときにさ、この実体、実体と触れる前に「たばこ」という概念に触れているんだよ。で、たばこという概念の中には既成概念がうわっーと入り込んでるんだよ既に。わかる?ということは、これ(たばこ)を経験するまえに、これがたばこと呼ばれる概念を経験することによって、これをあたかも知ったかのように思うんだよ。でもこれ(たばこ)を実際知ってるわけではないんだよ我々は。わかるかな?そのへんのことを語ってるんだよ。

伊藤:じゃあ自分が何かを経験してるときに、それを概念としてフィルターを通して。。

吉福:見るな!

伊藤:見るな、ということですね。

吉福:
笑)できればね。それをカスタネダなんかは「世界を止める」って言うんだよ。
世界を止めろっていうのは、言語による世界の展開、あなたの頭の中で起こっているめくるめく世界を止めなさいって言ってるんだよ。

伊藤:ちょっと違うかもしれないんですけど、ゲシュタルトでいうプロジェクションという、プロジェクションを止める、というような感覚に近いんですか?

吉福:
ちょっと違うと思うね。プロジェクションって投影ってことでしょ?自分の内側にある衝動とか情念とか感情とかみたいなものの投影を止めるってこと言ってるんでしょあなたは。

伊藤:ああ、違うか。自分の中の、だから、既成概念を止める、何か見たときにこれはあれだからこうであろう、といういろんな付随するものを。。

吉福:
うん、それを止めるってことだね。そういうプロジェクトションをやめるってことだね。それは近いと思うね。それは付随してることだけどね。付随してる、それは重要なことではないけど、それは同じようなことを言ってる。似たようなことを言ってる。

伊藤:それはことばとの付き合い方を見直すってことですか?メッセージとしては。変える?

吉福:
付き合い方を変えるんだね。見直すって作業ももちろん含まれてると思うけどね。だから、ガールフレンドがいてさ付き合ってるとするじゃんか、でもうまくいかない、どうも相手が支配的だ、というときに付き合い方を変えると状況が変わったりするでしょ?そう思わないかい?もともとの彼女の性質もあると思うんだけど、この関係じゃいやだって思うことってあるじゃない。男女関係で。で、自分が変えるしかないんだよ。相手は変わらないから。ことばも一緒だよ。ことばは変わらないから。変わらないから、自分を変えることによってことばとの関係を変える。わかる?

ことばにはもっともっと様々な性質があるんだよ。ぼくあなたにいま語ってないけど。その特徴をよーく見極めなきゃだめだから。あなた知ってる?ぼくはサンスクリットをもともとやってて、言語学みたいなことをずっとやってきているんだけども、ことばに関してはぼくすごくいっぱい言うことがあるんだよ。

まあ音に関してもそうなんだけど。このへんはぼくの一種の偏見があってさ、ことばの原点は音だってのがぼくの根っこにあることなんだよね。音だから。ぼくは音としてのことばを大切にして欲しいんだよね。少なくとも概念としてのことばではなくて。
書かれた文字とかさ、そういうことではなくて、音としてのことば、意味としてのことばではなくて音としてのことばを大切にすることによって、ぼくはことばとの関係ははるかに多く変わってくると。だから、経験的にはぼくは、ことばは音。意味ではない。というのがぼくの考えなんだよ。音そのもの。
だから同じことばをあなたが発するのとぼくが発するのでは違うんだよね。ぼくの声が違うし、まず。でしょ?ぼくの経験が違うでしょ、あなたとは。同じことばを発したとしても、ぼくが発することば、あなたがぼくの音を聞いたときに、あなたが感じてることとぼくが感じてることには大きなズレがあるんだよね。経験と知識と言葉との関係に違いがあるから。あなたとあなたのことば、ぼくとぼくのことばとの関係は違うでしょ?

伊藤:それはある意味普通にこう話しているときに、コミュニケーションのなかで、割とみんなわかってやってることじゃないんですか?

吉福:
知らず知らずのうちにやってるんだよね。で、共通の認識のあるところで話をして展開していくんだけれども、もう始終起こるのは、ひとつのことばを取り上げたとするよね、ひとつのことばに関して、ふたりの異なった人間が、まったく同じ範囲の理解でぴたっと合うことはあり得ないんだよ。
大半の場合、かすかにでも理解に接点があればOK、というのが関の山なんだよね。よほど具体的なものは別だよ。たとえば、テレビのリモート(リモコン)、ていうこういう具体的なものは別だよ。ここでこれを言えばあなたもこれ(リモコン)を考えるだろうし、ぼくもこれを考えるんだよね。そういうことは別として、ちょっとでも抽象的な概念になってくると、もはや互いが理解し合えるような共通項はごく少ないと考えたほうがいいと思うね。

あの、ロジカルタイピングということば知ってるかい?論理階型というだけどさ。バートランドラッセルなんかが言い始めた。伸治君たちの間なんかで出てるかな?

伊藤:吉福さんの書いてる本で知りましたけれども。

吉福:
ロジカルタイピングなんかもことばが持っている特徴なんだよ。そこも知ったほうがいいし、もっとことばには様々な特徴があるので、ことばのね、一個一個ことばが生まれてくる、生まれてくる仕方、みたいなものなんかに目を向けると一体何なのか、ということがわかってくるから、そいったことばの傾向を知るのはすごく大切だと思うね。
例えばさ、さっきぼくが言ったサンスクリットのことば、というのは、膨大なことばなんだよあれは。なんだけど、ほぼ全てのサンスクリットのことばというのはね、300弱の動詞の原型に還元できるんだよ。だから、すべて動きから発してるんだよ、ことばは。要するに、固定した名詞はないのよ、最初は。生まれてきたのは、(テーブルを叩いて)これは「テーブル」なんてそういう生まれてき方をしてないんだよ。ことばが。例えばさ、これテーブルっていうね、英語だけど、日本語のテーブルったってさ、サンスクリット的に語るとさ、「テーブルをするもの」ということばになるんだよ。わかるかな?その行動なのよ。行為がことばの源になってる。(テーブルを指して)このひとはテーブルをしてるのよ。するという行為をしてるの、ここで。

伊藤:ここにあるということが何かの行為なわけですね?

吉福:うん、ここに、ただ何もせずテーブルがあるのではなくて、ここにこのものがテーブルをしてるのよ。

伊藤:テーブルという役割をしている?

吉福:ま、役割というとまた余分なものがでてくるんだけど。

伊藤:テーブルをしている、と。

吉福:テーブルをしているんだよ。ことばのね根っこにはね、そういうね「動」があるんだよね、動きが。そのようなことをよく考えたりすればいろんなことがわかってくると思うんだけどね。言わないけどね。自分で考えなさい!

伊藤:はい。。すごい根源的なとこへ行っちゃいましたけど。。うーん。例えばちょっと戻ってぼくのさっき言った話、例えば感情を表現することばってありますよね、「不安」だとか、そういうぼくがさっき、「いま不安にかられている」って言ったときに、それもちょっとこう、ストップしたほうがいいんですか?不安というふうに捉えた、フィーリングを捉えたけれども。。

吉福:いやいや、そういうことを言ってんじゃない。そういうことをぼくは言ってんじゃぜんぜんないと思うよ。あの、情緒とね、要するに、自分の情念と言語の話にするかい?

伊藤:ええ。

吉福:情念と言語の話はまたまったく別の角度から語ることになるよ、そうしたら。

伊藤:今のは、分別と言語ですか?

吉福:
今語ってるのは、ことばというシステムそのものと、一人ひとりの人との関係の話を定義してて、そのシステムとの関係を語る場合には、そのことばというシステムが持っている基本的な傾向を理解しないと、明確な、いい?ことばに支配されない形でことばとの関係をもつことは難しいってぼくは言ってるんだよ。
で、そのためにことばにはこういう特徴があるんだよ、こういう特徴があるんだよ、ってことをぼくは言ってきたよね?で、それはほんの一部しかぼくは言ってないんだけども、いいかい?いくつか言ったよね今まで。
論理階型の話もしたし、ことばは物事を細かく分けていって細部にばっかり目がいって、どんどん新しいことばが生まれてくる、ことも言ったよね。
他にもことばに関しては、サンスクリットの例だけど、ことばは要するにアクティビティ、活動から生まれている。サンスクリットはひとつの例だけど、根本はそれなんだよ、動きなんだよ、固定した何かではないんだよ、何かをするってことなんだよ、ってことを言ったよね?

そういうのはいくつかの、あらゆる言語システムが持っている基本的特徴のいくつかをぼくは言ってるだけであって、なぜそれを言ってるかというと、ことばというシステムが持っている特徴がわからないと、そのことをしっかりと自覚してないと、関係をしっかりと結べないからそう言ってるんだよねぼくは。
で、あなたがいってるような、こんどは情念、情緒的な状態とことばとの関係ということになってくると、ことば、概念は情念にすごく大きな影響を与えるんだよ。すごく大きな影響を与えるので、異なった角度で語る必要があるんだよ。(にわか雨が降ってきた音)だから、その話をしたいのかって聞いてるんだよ。

伊藤:はい。

吉福:延々とかかるよこれ。実例もいっぱい出さなきゃいけないし、情念とは何かから語っていかなくちゃいけないからね。それでいいの?それでは聞きたい話じゃないんじゃない?

伊藤:あ、また、本のあれとはまた。。

吉福:
うん、いや、当然それも関わってくるけど、あの、情念とことばというのはね、しっくりくる関係をもってないんだよ、あんまり。
自分の感情がさ、喜びにしろ悲しみ怒りにしろなんでもいいから、激発してるような状況で思い起こして欲しいんだよ。人生であったでしょ、そういうことって当然。まったくコントロール不可になるくらいのことに、情念がなるような。そのときことばは出たかい?どういうことばが出た?どうなった?あなた自分の経験で照らし合わせてごらんなさい。

伊藤:。。なんか非難することばを吐いてましたけどね。うん、とにかく。

吉福:自分を非難することば?

伊藤:いや、相手を。いま思い出したのはすごく怒ったとき。。。「おまえが悪いんだ」みたいなことをとにかく言ってたというのを思い出しましたね。

吉福:で、非難すれば非難するほど、どうなった?情念が。

伊藤:さらに高まった感じですね。

吉福:ずっと高ぶりつづけた?どっかで収まったでしょ?

伊藤:そうですね。何十秒ぐらですかね。

吉福:
だけど、非難、ことばを吐くと?増殖してったでしょ。増殖。高まったってのは増殖したってことを言ってんだよ。高まって増殖していったんだよ情念が。ことばによって。ことばを吐くこと使うことによって。情念にことばを乗せると、情念はもっといくんだよ。わかるかな?ことばに刺激されて。吐けば吐くほど。好ましかったかい?そのとき自分にとって。

伊藤:。。好ましいか?っていうふうに考えるんですか。。好ましかったか。。
ひとつ、感情をそういうこう抑えてたものを吐き出したっていう意味では好ましかったかなと思ってますけども。すっきりしたっていうんですかね。

吉福:じゃあ、腹たったことだよね?で、すっきりして腹ただしさは収まったかい?

伊藤:あー、収まりはしないですね。。くすぶってる感じ。

吉福:相手はどうなった?そのとき。

伊藤:んー、相手は、もうなんかぜんぜんすれちがいましたね。そんときは。ぜんぜん何をぼくが怒ってるのかわからない。。

吉福:ああ、相手がね。

伊藤:あとですごく冷めて。。

吉福:冷めたあとに冷静に話して、理解してもらった?

伊藤:いや、冷静に話すってことはなかったですね。高ぶってたしぼくも。

吉福:あとでも?あとでもやっぱり高ぶってた?

伊藤:その日はそうでしたね。

吉福:で、そのあとでどうなったの?

伊藤:それについては、なんかそういうことは話さなかったですね。んー、改めては。

吉福:ああ、そのことに関してはね。友達なの、その人は。

伊藤:親ですね。

吉福:ああ親なんだ。

伊藤:はい、いま思い出してたのは。

吉福:話したほうがいいと思うよ。

伊藤:んー。。。

吉福:
まあ親子のね絆があるから問題は起きてはこないとは思うんだけど。情念とことばというのはね、尋常じゃない関係があってさ。えー、ひとそれぞれさ、人生経験が異なるでしょ?それぞれね、ひとそれぞれなんだけど、もちろんある程度共通項はあるんだけど、それぞれね、情念を激しく刺激する概念ってあるんだよ。いくつかの。そういうのをさ、おれたちよくメンタルブロックって言うんだよ。
あなたから見るとなんでこんなことばに引っかかるの?と思うようなことばが、特定の人をね激情させたり、特定の人を信じられないくらい落ち込ませたり、ってことが起こるのはあなたわかるかい?

伊藤:それはわかります、はい。

吉福:わかるかい?一体何なのか考えてごらん、自分で、それは。あなたにとってなんともない言葉が特定の人にはそうなってしまう。だから逆に特定の人にはなんともないことばが、あなたにとってはすごく大きく、情念にとって、あなたの感情に激しく感情が反応するようなことばだったりすることってあるでしょ?

伊藤:ありますね。

吉福:それ考えてごらん。一体何なのか。

伊藤:なんか自分の自己イメージと関わっている感じがしますね。聞いてて、コンプレックスっていわれている劣等感を持っている部分を、ことばを言われると、やっぱ怒ったり落ち込んだり、そのことば自体に反応しますね。

吉福:ことばと情緒に関しては伊藤君がね、やっぱり自分でもうちょっとしっかり吟味したほうがいいね。

伊藤:吟味?

吉福:
うん、自分でね。自分の経験をベースに。ことば、特定のことばとその情念との関係がどういうふうになったか。で、ことばのやりとりがさ、情念がわっとなるさ、契機になることって結構あるでしょ?そういうのをよく考えてごらん。そうしたらわかってくると思うけど。
あのねー、ことばとはいったい何か、ていうことを知る上でね、情念とことばの関係をしっかり吟味していくとね、気がつくことがすごくたくさんあると思うよ。気がついてくる。自分で吟味しなさい。そうしないとたぶんわからない。ぼくがここで全部こうでこうだよってことをあなたに言ってしまっても、あなたにとって何にもならないと思うので、吟味しなさいって言うんだよ。

伊藤:わかりました。

吉福:
そうしたらわかってくることがあると思う。すごくことばの原点を探る上で大切なことだから。あのね、情念、情念の高ぶり、それは怒りであれ喜びであれ悲しみであれ、なんでもいいどういう高まりでもいいんだよ、どんな情念の高まりでも同じなんだよ、情念の高まりと、それに伴って発せられる音、人の、人が発する音、動物が発する声、もうすべてことばの源なんだよそれは。そういうことをしっかり考えてごらんなさい。そうするとわかることがすごく数多いから。