(5)情熱編

解説
いわゆる「情熱」というものを感じられないのが悩みだと訴えるぼくに、吉福さんからの指導?が入ります。



インタビュー(5)情熱編


パッションだとかね、やる気だとかさ、モチベーションのようなものはぜんぜんないわけじゃないと思うんだよ、普通人間の場合ね。大半の場合、最低生きていこうっていう気持ちは十分にはもってる、生きたくないって気持ちも同じだけあるけど、生きてこうって気持ちがあるし、十分にあると思うんだよ。
で、それを感じられないわけでしょ?あなた。自分で。パションとかそういうものを。

伊藤:そうですね。だから感じられてないって感じがするんですよ。

感じがするのね。もうそうしたらねやり方はたぶんあなたのケースに関して話してるんだけど、単純でさ、あなたのあらゆる営み、営みがね、あなたがすでに持っている情熱とかモチベーションのようなものに触れさせない邪魔をしてるんだよ。あなたの営みが。

伊藤:営み?

うん。あなたの日常の営みが。考えたりとかいろんなことするじゃんか。体を使った活動もするし、そういうようなこと全てがさ、要するにせっかくあなたの中にある情熱だとかモチベーションと触れられないような邪魔をしてるってとらえてごらん。

伊藤:はい。

そういうケースがすごく多いんだよ。人間ってね大半のひとがもうあなたのことだけを語ってるんじゃないけど、現代社会に生きてる人間って大半がさ、余分なことばっかりしてるんだよ。自分の邪魔をしてるの大半が。

伊藤:邪魔をしている?

だから僕なんかはよく言うんだけどね、しないことを覚えるしかないんだよ。あの、”Not doing”ってことばが70年代のアメリカですごく流行ってて、しない、要するに無為ってことだよね、為さない。それ、Not doing をあんたもする必要があるんじゃないかと思うんだよね。
消去していくの。あなたの中にもう存在している情熱とかモチベーションにふれるためには、あなたの毎日やってることが全部そうやって触れさせない邪魔をしているから、何か新しいことをするというよりも、これまあなたが自分で毎日やってることを消していく、っていう方向で行くと触れられるようになっていくかもしれない。ゆっくりとね。わかるかい?言ってる事は。

伊藤:わかります。それは具体的な営みなんですよね?

具体的な営みだよ。

伊藤:本を読むとか。

<充電切れのため録音中断>

言ったことは伝わったかい?いま。

伊藤:はい。基本的にじゃあ、やっぱりここの(頭を指して)働き?

基本的にはやっぱり頭の中での考えるって作業だと思うよ。一番多いのは。考えるって作業と、あなたが引っかかってしまってることだよね。基本的に。フィクセーションを起こしてしまってること?
だからこないだ出たじゃない、女性の問題だとかお金の問題だとか仕事の問題?それぜんぶあなたひっかかってるんだよ。過去の経験の中でさ、何か心残りがあるというかさ、なんか受け入れきれてない、と思わないかい自分で?

伊藤:受け入れてないことがある?

うん、自分に起こったこと。なんかおまえ、今回も一緒だな、こうやって話しててさ、あなたと話してる感じがしないんだよ。いないの、あなたがそこに。あなたのこと話してるんだよ?

伊藤:はい。。

でも難しいんだよね。その、とくに頭の働き?頭の働きをゆるめたりとかさ、あまり頭が勝手に考えてもそれにひっかかる、要するにいろいろ頭の中で起こる様々な考えにあなたひっかかっていってるんだよね。だから結局ひっかかりなんだよ大半の問題を生じさせるのは。なんでもね、考えることでもそうだし、日常の営みでもそうだし、物事がプロセスでスムーズにすうーっと流れてる限り、ほとんどひっかかりはおきないんだよ。だけどひっかかりが起きるでしょ?

伊藤:はい。

それだからさ。止めるのはなかなか難しいと思うよ。それを止めない限りなかなか触れられないだろうね、やる気には。

(風鈴の音)

伊藤:うーん。。日常をプランするのがまた頭でプランするじゃないですか?

なんで頭でプランするの?日常を。日常のキーになることを頭でプランはするでしょ?日常のキーになること。何時ごろ誰と会うとかさ、ご飯食べるとか。それ以外のことはぜんぶ頭でプランするわけじゃないでしょ?そのキーとなること除いては周辺は自由のままでしょ?

伊藤:そうですね、自然にやるだけですね。

うん、例えば1時にさ、誰かに会うことになってたら12時とか11時ごろからそのことが頭を占めるわけじゃないでしょ?

伊藤:。。。

そのことが頭を占めるわけじゃないでしょ、って言ったんだよ。

伊藤:いや、割と占めます、ぼくの場合。

それはもうそこにいなくなっちゃってるんだよ、あなた。あのさ、よく理解しなくちゃいけないのは、あなたの頭が働いているところにしかあなたはいないんだよ。あなたのようなありかたをしている限りはいま。いい?、ということはさ、あなたがさ11時ごろに1時のことを考えたら、あなたは1時に存在して11時にいなくなっちゃうんだよ。もうそのときあなた存在しなくなってるの。あなたはいないんだよほとんど。抜け殻がいるだけなの。だから、よくほらいまここにいるんだって言うじゃん。いま・ここ・自分、ってのは全部いちばん重要な話じゃない。ねえ? それなんかはそこにいなきゃいけないんだよ。ひとはそこにいないんだよ、だいたい。
で、いまね、あなたと話しててあなたと話してる気がしないって僕がいってるのは、あなたが話してるときにあなたが頭の中に住んでるからなんだよ。あなたが頭の中に住んでるから、ぼくから見えなくなっちゃってるんだよ。あなたがいるのかどうか。だから、あなたと話してると思えないってぼくが言ったでしょ? それは、あなたがそこにいないんだよ。そりゃ体はあるよ。頭の中に入っちゃってるんだよ、あなた。わかるかな言ってること?

伊藤:わかります。

それをやめないと、そういうことをすることをやめないとやる気には触れられないよって言ってるんだよ。なにかそのときそのとき、そのときその瞬間、そのいろところのそこにいないと、やる気は感じられないから。で、考えたりしてるともう人はそこにいなくなってるんだよ。でもやる気はそのその人が抜け殻でもなんでもいるところにしかないんだよ、やる気とかさ、情熱は。
ここ(頭)の中ではどこにもないんだよそれは。考えるっていう主体は情念を嫌がるのよ、情熱を。飲み込まれちゃうから。わかるかい?情熱がわっと湧いてくるとほら頭で考えてることなんてすっ飛ばされちゃうでしょ?基本的に。だからいやなのよ。わかるかね?

伊藤:はい、わかります。

だから、要するに邪魔をしてるから、あなたが。自分の情熱と触れるのを邪魔してるから、邪魔をやめなさいって言ってるんだよ、順番に、すこしずつ邪魔をすることをやめてしまえば触れられるよって。

伊藤:はい。わかります。

大丈夫かい?

伊藤:はい。それ、ゲシュタルトでいうことですよね。

ゲシュタルトなんかでも同じ、いまここ、っていうのがゲシュタルトの大きなテーマだから、それがポイントなんだよね。

伊藤:で、ぼくの受けてたアランっていうひとは、とにかく呼吸をしろ、って。

うん、呼吸こそが、心や情念とあなたをつなぐチャンネルなんだよ。ものごとを考えてるときの自分の状態を見てごらん?自覚して呼吸をしながらしっかり自分が物事を考えられるか試してごらん自分で。呼吸は、基本的に自我だとか思索する自分にとっては、基本的に邪魔をするもんなんだよ。そのあたりのことをやっていけばさ、情熱には触れられると思うよ。
あなたの場合は触れられない、その思索が邪魔してさ、触れられないんだけど、その思索、考えるっていうことのあるもっと奥にある大きな原因ってのは不安だよね。不安と心配。
不安と心配が基本的にあなたに考えるって作業を知らず知らずのうちに数多くやらせてて、その考えるという作業そのものがあなたが自分の情熱と触れる邪魔をしている、というメカニズムが働いていると思うね。

伊藤:はい。それは話としてはわかります。それとでもストラグル、取り組んで、ゲシュタルトでそれでおんなじようなこと言われて。。でもやっぱりなかなか難しいですね。。できてないんですよね。。すぐ忘れますね。

だってさ、考えることが邪魔をしてるっていったら考えることをできるだけやめればいいんだよ。要するに考えてる自分にひっかからないようにすればいいんだよ。考えるのをやめようとするとできやしないから、そんなことは。

伊藤:はいはい。できないですね。はい。

人は。ね、あの、トレーニングすればできるんだよ。思索を止めるっていうのは。できるんだけどトレーニングをしっかりしない限りできない。だからそれでもトレーニングをいっぱいした人でもときと場合によってはうまくできない。ことだから、考えることに手を出そうとするのではなくて、考えは考えとして勝手にめぐらせておいて、それにひっかからない。

伊藤:ひっかからない?

プロセスでしょ?考えるっていうのは。そのどっかにぜんぜんひっかからない。もうだから考えに勝手に考えさせる。あたかもあなたのことじゃないみたいに、考えに勝手に考えさせればいいんだよ。そうしたらひっかからないから。
瞑想なんかするときの最初のやりかたと一緒だよ。瞑想やったことあるの?座禅とか。

伊藤:たまにあります。はい。

瞑想やるときにさ、座ってさ、呼吸に注意を向けはじめると、自然にいろんな思いが頭に浮かんでくるでしょ?浮かんでくるでしょ?

伊藤:はい、めくるめく浮かびます。

で、なんとかしようとするともうそっちに入りこんでいくでしょ?だからそういうことするなって言うでしょ?起こってきたらもう勝手に起こらせるままにしときなさいって。

伊藤:眺めるだけ。

眺めるだけで気にもしないでひっかかるなっていうでしょ?それと一緒だよ。それと同じことをしていけばいい。日常的に。

伊藤:日常的に?

日常的に。あっ、おれの頭は勝手に考えてたと思ってさ、それで対象化していって、対象化していってそれでひっかかりさえしなければ、大丈夫だよね。
それがたぶん、あなたなんかには必要な作業かもしれないね。作業としてはね。
そうすれば少しは自分の情念みたいなものと触れていけるんじゃないかね。

伊藤:。。。。。。

頭ではそれはわかるけど、やりかたがわからないっていうんでしょ?

伊藤:まあひとつは呼吸かなと思ったんですけど。呼吸を意識するっていう。。

ずうーっと呼吸を自覚するわけにはいかないからね。

伊藤:いかないですね。

呼吸は自律的に動いてくれないとまずいもんだから。だからそういうふうに思索、考えるところに自分が取り込まれていこうとするときに呼吸に目を向けるんだよ。

伊藤:それに気づくようにする。

うん。ひっかりそうになったときに呼吸に目を向けるとひっかからないで済む。それがさ、情念もいっしょでさ、いろんな情念が湧いてくるとき?湧いてくるとき、例えば怒りの情念が湧いてきて、もうたまらないぐらいの怒りで誰かを殴りかからなきゃいけないようなときになったときに、情念との接触を少々希薄にするのが呼吸なんだよ。腹がたってかんかんに怒ってるときに深ーい呼吸をすると、すうっと怒りはある程度治まってくるんだよ。で、もっていかれなくなってしまうんだよね。それと同じように思索の場合も基本的には一緒で。呼吸に目を向ければ状況は変わってくると思うね。
でもそれはだいたいそれにとりこんでいかれないって働きをするだけだから。呼吸だけのことを気にしてればそういうふうになれると思わないほうがいいよ。

伊藤:あ、そうですか。他にツールはありますか?

いや、もうあんたが自分でね、自分で葛藤して、自分のやりかたを探すしかないんだってよ。例えばさ、いろんなやりかたがあるんだけどそれを僕なんかから聞いてやりはじめるでしょ? 働かない、それは。機能しない。
あなたが自分でいっぱい失敗しながら葛藤して道を探していかないと。道はね、あなたしか知らないんだよ、あなたの道は。だれか知ってるわけじゃないんだよ。もちろんその結果としてね、やってみたらぼくなんかが言ってるのと同じようなことを結局歩んでた、ていうかたちでならいいんだけど、先にどうやればいいんでしょうと誰かに聞いてやるというのはマニュアル世代がやることなんだよ。

伊藤:はい。。

それはね、あなたのものにならないの。あの、かたち上、かたちはついたりするんだよ。でもね、ほんとのあなたになってないのよ、それは。人から教わった方法だから。自分で葛藤してやっていくしかない。ぼくの言ったことをやれば誰でもできるんだったらね、みんなたくさんそういった苦しみから解放されてますよ。しゃべるのは僕いっくらでもしゃべってるから。だけど、そういうことじゃないからさ。あなたはあなたの力でやり方を自分で探して葛藤してやっていくしかなくて、僕なんかが言ってるのは一般的に見るとこういうふうに見えるし、あなたのケースの場合はだいたいこういうやり方をするといいんでしょうね、って言ってるだけで、あなたがそれをやるとそうなる、なんていうふうに言ってるわけではぜんぜんないんだよね。かどうかわからない。非常に微妙な微細なものだからこれ。自分の考えにひっかかっていくことを止めるってことは、こうやってことばにすると簡単なんだけど実際にやっていくうえでは非常に微妙な繊細なことなんだよ。自分に課す作業としては。非常に繊細な作業なので、あなたがそれを的確にやってるかどうかはあなたしか知らないんだよ。ぼくなんかが言えるのはそれ結果として、やってもぜんぜん情念には触れられませんでしたっていうと、僕なんかが思うのは、やっぱりちゃんとやれてないんだ、あまりに微妙なことだから、というふうに理解するんだよね。
だからあなたが自分で自分の力でどんどんどんどん、葛藤して失敗をしながらやって、道を見つけるしかない。クリシュナムルティだっていつもそんなこと言ってるでしょ?道なんかどこにもないんだって。

伊藤:ちょっとわかんないですけど。

ん?クリシュナムルティ知らないの?

伊藤:何冊か読んだことありますけど、そのことばは知らないです。

道なんかどこにもないんだって。道はあなたが歩いてはじめてできていくんです、前にどっか道なんかあるわけじゃないって。道はどこにもないのよ。あなたにはあなたの道しかないのよ。でぼくが歩んでる道は僕の道なんだよ。あなたは来れないんだよ。来れない未知だから。

伊藤:来れない道。

そりゃそうだよ(笑)だってぼくの歩いてきた人生、あなたの歩いてきた人生、もう共通点を探していけば同じ人間だから、同じ日本人だからある程度の重なり合いみたいなものはかすかには見つけ出されるかもしれないけど、時代も違えば僕が歩んできた文化も違えば、同じ道をまず歩めないんだよ、人は。
で、はたと気がついてどっかに到達したときに、あっ同じ景色なんだ、前のあの人が、例えばね、クリシュナムルティが言ってたのとああ同じ景色だ、と思うだけなんだよ。同じ景色なのよ景色は。もうそれは確かなんだ。もう何千年かたくさんの人類が歩んできてるから。景色は同じ。同じ景色の場所に出るだけど、歩んでゆく道は10億ひとがいたら10億とおりあるんだよ。で、はたと気がつくと同じところに到達してる。ほぼ同じところですよね。同じ景色。
だから自分で葛藤するしかないって言ってんだよ。で、何かをするというのではなくて、なにかこれまでしてきたことをやめるっていう方向でやるのが一番いいだろうと僕は言ってるんだよ。

それはね、現代社会にも言えることなのよ。話がちょっとこんがらがっててあなた混乱するかもしれないけど、キリスト教圏なんかはもう本当に、この国(アメリカ)もそうだよね?明確にそのへんの問題がでてきてるんだよね。まあ仏教の場合でも、宗教のことを一応背景に語っていくとね、仏教なんかの場合でもとくに浄土、浄土真宗、日蓮宗系統、日本のね、まず基本的に日本の仏教はすべてマハーヤナ、マハーヤナってわかるかい?

伊藤:わからないです。

大乗仏教。菩薩をすえた大乗仏教だから、もうすべてがそう、キリスト教に近いものがあるんだけど。要するに一切衆生の救済、一切衆生の救済を語り始めるような宗教はみんなこの罠に陥っていくんだよ。キリスト教を筆頭として。それはどういう罠かというと、すべて社会とか人類とか自分の国に国民のためにやりすぎるってことなんだよ。過度の介入。ぼくよくさ、過剰介入ってことばを語ったりするでしょ?過度の介入をしすぎるのよ。人をなんとか救おうとか人をなんとか助けようとかっていうことのために過剰介入しすぎてさ、で、過剰介入が原因でよりひどくなる。っていうのがすごく多いんだよね。で、それは大半のひとが個人で自分に対しても行ってることなの。大半のひとは自分に過剰に介入して自分の中に自然に存在してる特定のものを抑え込んじゃう。で、あなたが抑え込んでるのはあなたの情念を、情熱を抑え込んでるんだよ。触れらんないように。だからあなたそれに触れないんだよ。

伊藤:はい。

で、それが集合的には何が起こってくるのかというと、要するに社会福祉なんかあるじゃんか、なんかっていうのはさ、まあレベルの問題があるからさ、本当にもうサバイバル・レベルで苦しんでいてさ死ぬかどうかもしれないような状況にいる人はぼく助ける必要があると思うんだけど、そうじゃない人、生活のレベルの問題で社会福祉なんかをやってるのはさ、ぼくは完全に過剰介入だと考えているんだよね。せっかく人が貧しさの中で様々なものを見出そうとするのをね、外から手をだして介入して、その見出すことを。。いいかい?あなたに言ったと同じなのよ。貧しいときにがんばんなきゃいけないじゃんか、失敗しながら。それをやらせなくてボーンと助けてしまうっていうのはね、もう完全な過剰介入なんだよ。ほんとうはほっとけば本人は大変な思いして自分の歩んでいく道を見出していくのよ。ところが、大変な思いをするのを見てられないから、助けるほうの人の問題なのよ、見てられないから、要するに自分に同じことが起こったら耐えられないから、なんとかしようとするんだよ。
ところが、その実際に大変な思いをしてる人っていうのはさ、その大変な思いを通して何かを見出していくかもしれないから。ていうそういうことをぼくは言ってるんだよ。そういうのを過剰介入だっていうんだよ。
過剰介入ってのいっぱいでてるじゃん、そうそれが、例えば死にそうな人をさ、機会にいっぱいつないで死なさないとかさ、いろんなことするでしょ。あんなの死なしてあげたほうがいいと思わないかい、あなたも。

伊藤:そうですね。

あの、ベジタブル状態でずっといる、あれなんかも過剰介入の典型的な例なんだよね。介護保険もそうだし、あなた仕事してたかもしれないけど、介護保険にも大きな問題があるし、もうあらゆることがね過剰介入なんだよ。それは社会が集合的にやっている過剰介入の例なんだけど、なぜ社会が集合的にそうなってしまうかというと、個人がそれぞれ一人ひとりが自分に対して過剰に手を出してるんだよ。わかるかね?自然にいくものを自然にいかさないようにしちゃうんだよ。不安で。

伊藤:はい。

伝わってるかな言ってることは?

伊藤:いや、わかりますよ、はい。

だからどうすればいいかっていうのはさ、もう本当に基本的な原理をぼく語ってるわけだから、その基本的な原理にのっとて、もしあなたがぼくもそう思うって感じるんだったら、あとはもう自分でいろんなことをしてみるしかないと思うね。で、ぼくがぼくも自分でいろんなことしてきたんだよ。いろんなことをしてきて、僕の場合やってきたこういったことがうまくいった、ってのがあるわけじゃないんだよ。いろんなことをしてその総合として僕みたいな人間にいまなって、僕みたいな考え方に落ち着いてきてるんだよね。で、これは別に僕だけがそうだっていうのではなくて、歴史上、何千年の中で見ていくと、ぼくと同じようなこころの心境をもってる人ってのは何人もいるんだよね。心境に到達したひとっていうのは。で、体力もぼくなんか年齢いってきてるし落ちてきているし、いろいろ起こってきてるけど、ぼくはもう自分の情念、情熱と触れることになんの問題もないんだよね。

伊藤:うーん。それはいつからですか?

もうずっと。

伊藤:最初からですか?

最初からじゃないよ。ぼくはほら人間変わってるからもうまったく。大きな変革経てるから、ジャズをやめて別な世界で生きようとしたときにもう大変な葛藤をしたから、そこでもう人間がぜんぜん変わっちゃったんだよね。人間がまったく変わってしまってからは、もうぼくは何をやるにも全身全霊思いっきり。こころ残りや後悔がないように。どういうことをするにしても、自然に、例えば人に流されてやってるみたいに見えても、どんなことでも結局自分で決断してやってるわけでしょ?そしたら絶対それに心残りを起こさないようにすべて思いっきり。どんな些細なことでも思いっきりやって、結果は気にしない。そしたらもう気分はいいよ。一応思いっきりやってるからなんでも。

伊藤:いいですね。思いっきり、思いっきりやる。

もちろんさ、優先順位ってのはあるんだよね。自分を中心に物事を考えれば、優先順位があるから、優先順位の優先度が高いものはもっと思いっきりやるんだよね。で、適当に思いっきりやればいいものは適当にしか思いっきりやらないし。そういうことは十分にあるよ。なんでもかんでもバカみたいにさ、(不明:)するわけじゃないから。

伊藤:うん。。でもひとつ自分への介入って話でいうと、ひとつ自分でやめたことがあるんですけど。ぼくちっちゃいころからものすごい病院にいく、もうちょっとコホンって咳をしたらすぐ病院にいって薬をもらって、

それお母さんだね。

伊藤:そうです。お母さんが連れていくんですよ。で、こどものころはもう、アレルギーを直すために一年ぐらい毎週注射打ったりとか、まあ小さいころ肺炎とかやったり、まあ弱いといわれてたんですよね。で、自分で弱いと思ってて、すぐ病院いくっていう行動を高校生までやってたんですけど、一人暮らしをはじめてから、その面倒くさいのと、でもどっかで意識的に風邪では病院いかないって決めたんですよ。

いいことだよね。

伊藤:小さいことですけど。

あたりまえだろそんなのは?風邪に限らず西洋医学の介入が必要な病ってのは非常に限られているんだよ。いまの西洋医学の力では。にもかかわらず、西洋医学があらゆる病気に対応しようとしてて、どうすることもできないことにも対応しようとしてるんだよね?たとえば体のさ筋肉痛だとかね、腰痛だとかね。結局なにができてるかというと何もできてないだよ。唯一できるのはコーチゾンのシャットかステロイドを打つくらいしかできないのに、対応しようとするんだよね。で、僕たちの立場からみるとコーチゾンとかステロイドとかやられちゃうと、もはや対応できないんだよ。固めていくから。固めていくために。だから悪くしてるわけ。ていうような感じだから。で、西洋医学、あのね風邪とかさ、命の関わる病、手術が必要なものを除いてはさ、医学はいらないんだよ。病気の大半は体から来てるね、心身システム全体をあれしたね、例えばあなたならあなた、伊藤君ってひと全体に対するメッセージなんだよ。あんたは、とくにこっちのほうがね、こっちのほうってのはこのへん(頭)がね、伊藤君っていう全体の存在にとってろくでもないことをしてるから、からだがこういう反応をしてるんですよっていうメッセージなんだよ。そうやってるろくでもないことは、おやめになりなさいって言ってるんだよ、あなたが。の体が。
風邪引くには。わかるよね?
だったらさ、医者にいって誰かに他人に直してもらうんじゃなくて自分でやるしかないんだよ。自分がどういう生活の仕方が、始終風邪を引くような自分をつくるのかってことを考えて、自分の日常の営みのなにがこれを作てるのか、あるいは自分と自分の関係の自分どういう姿勢がこれをつくってるのか、ということを考えるのがまず最初であって、風邪をひいたら思いっきりひいて、引ききって、引ききって治まるまで待つ、ていうのが風邪からきてるもともとのメッセージなんだよね。耳が痛い、お腹が痛い、目が痛い、鼻が痛い、それみんな一緒だよ。
でも、あなたがやったなんでも行ってたってのはね、風邪?ではいかないってのは、非常に些細な変化だけど、第一歩としてはいい一歩だと思うよ。

伊藤:はい。結構学びましたね。ていうのは病院ほとんどいかなくなりましたね。

ぼくなんてさ、薬、何十年飲んでないか。何があっても。何も。まったく飲まないから。西洋医学の薬はね。

伊藤:じゃあ車酔いってどうなんですか。ぼく車酔いだけは薬飲むんですよ。

なんでそんなもんで薬飲むの?

伊藤:気持ち悪くなってしまうから。バスとか乗ると。

酔うのおまえ?車。

伊藤:めちゃくちゃ酔うんです。

あのさ、車になぜ酔うかっていうメカニズムを考えたことがあるか?おまえ。なぜ酔うのか。

伊藤:なぜ酔うか?

うん。メカニズムを考えて、どんなことでも機械が壊れるじゃんか、機械が壊れたらさ、どこが壊れたか探すでしょ?単純に。それと一緒で、車に乗っても酔わない人っているじゃんか。

伊藤:いますね。

自分は酔う人でしょ?なぜ酔うのか、って考えたかい?頭っのはてそういうことに使うもんなんだよ。自分の不安とかそういったことだけに踊らされるもんじゃないんだよ頭ってのは。

伊藤:はい。。

考えたことあるかって聞いてんだよ。だんだんおれ説教しはじめてんなあなたに。(笑)

伊藤:なんかもう遺伝的なものかなと思って。

ファックユー!

伊藤:親も酔うし。

蹴っ飛ばすぞおまえ。そうなふうなかたちでものごとをぜんぶ決めてったら全部遺伝で自分の責任にならないよ。あなた以外、酔うことの責任者はいないんだよ。あんたがあなた自身に車酔いを起こしてるんだよ。

伊藤:うーん。。

あなたに起こってきてることでしょ?遺伝とかそういうことではまったくない。関係ないです。車酔いと遺伝がどこに関係があるんだいったい。

伊藤:うーん。

じゃあ例えば単純にさ、不動金縛りって知ってるだろおまえ?

伊藤:知らないです。

真夜中に、はっと目が覚めてからだを動かそうとおもったら、上から老婆かなんかにぐわっと押さえつけられてまったくからだを動かせないっていう。

伊藤:あ、たまにあります。

おまえあるの?

伊藤:ありますあります。

それを不動金縛りっていうんだよ。すごいたくさんの人に起きるんだ、これは。

伊藤:はい。たまにあります。

それはどう思う?

伊藤:それはぼくね、メカニズムとして自分で納得してるとこがあって、まあ体がもう眠ってるのに頭だけ起きちゃったと、たまたま。ていう状態だと思うんですよ。ていうのは、やっぱりがんばれば動くんですよ。待ってれば。怖いけど。動くはずだって思ってううーって待ってると、たぶんまあ一分たたないうちに体がハって動くんですよ。で、それを何回か経験してるうちに、

わかってきたのね?

伊藤:これはまあ体と睡眠の問題ですよね。

要するにさ、ぼくたちはああいうのを体のさ、betrayal of the body 体の反乱って呼ぶんだよ。で、メカニズムとしてはあなたが言ったようなことと近いことが起こってはいるんだけど、実際にはさ、われわれに日常的にさ、多くの場合、ここ(頭)で体を支配して動かしてるって思ってるよね、自律的に動いてるのも多いけど。でも体は体なりの知恵をたくさん持ってるって思わないかい?ものとして、物質として。

伊藤:思います、はい。

体の知恵をさ、ここ(頭)は考慮してるかい?

伊藤:あんまりしてないですね。

考慮してないよね。要するに頭脳による身体の支配に対する反乱なんだよ。

伊藤:金縛りがですか?

うん。ひとつの典型的なシンボルなんだよね。あんたの言うとおりにはわたしは動きませんよって。いつもそうやってるから。

伊藤:あ、メッセージなんですか?

メッセージ。からだから来てるメッセージなんだよ。

伊藤:あ、ぼく何回も経験してますね。

それは、こっち(頭)中心のひとにすごく起きやすいんだよ。もう体からのメッセージで、あんたのゆうことは聞かないよ、って言ってるんだよ。
で、あなたが言ったみたいにぱっと目が覚めたけど体はまだぜんぜん起きる準備ができてなくて動かないっていうメカニズムがある程度働いてるんだけど、実際には体のほうから、ふざけるな、って言ってるんだよ、頭に。
それと同じなんだよ。さっき言ったことは。

伊藤:車酔いも?

車酔いもまったく一緒。体がふざけるなって言ってるんだよ。あなたに。
車酔いってどうして、あのね、ちいさいちいさいね、本当にちいさい子供には起きないんだよ、車酔いっていうのは。あのね、こどもが車に酔いはじまるのはね、2,3歳ぐらいから始まって酔いはじめるんだよ。何か示唆してると思わないかい?自我が芽生えてきて、自分、わたし、ぼく、っていうのがだんだん固定してくるに従って、固定度が高くなれば高くなるほど酔い始めるんだよ。車の中に乗ってると、心身システムぜんたいがひとつの全体性の中に乗ってるから、その車そのものとは無関係にからだを保つことってできないでしょ?

伊藤:はい。できないです。

できないよね?ところが、自我っていうのはもっと傲慢なんだよ。もうすべて保てる、っていう傾向をもってるんだよ。なのに保てないでしょ、車の中だと揺れて、それでおかしくなっちゃうんだよ。自我の側からきている、耐えられない耐えられない、っていうのを体が示してんだよ。だから、すごい単純で、車酔いする人にとってもっともいいのは、まかせるの。車のゆれに徹底的にまかせて何かを保とうとしないの。頭で自分というのを保とうとしないの。自分を車に全部渡しちゃう。そうするとまったく酔わないから人は。何かを、舟もそうだよね、車も舟もこういうゆれ、飛行機もそうだけど、ゆれの中でゆれないでしっかりしようとする自分を置くと、酔うんだよ。そうじゃなくてゆれたままの自分でいれば、酔いようがないんだよ。それを受け入れれば。
自我が一番嫌うのはね、自分の、自分がコントロールできないことを一番嫌うんだよ。もうコントールマニアなんだよ自我っていうのは。もう全てを思うようなそういう世界に置きたいっていう。車の中のゆれは統制できないでしょ?

伊藤:はい。

だったら自我はずしてみたら?ゆれになれるでしょ、そのまま。ゆれそのものになれば分裂がないから。別の角度から言うと、自分の中に分裂を起こさないで車の中に乗ってるときは、こころも体も車そのものにどうぞって明け渡すことができれば、酔うってことはない。

伊藤:うん。

伝わってるかな?

伊藤:はい。

ちょっとぼく洗濯物とってくるからね。ゆっくり考えてて。

<吉福さんが洗濯物をとりにいく>

伊藤:わかる、わかる感じがあるんですけど。

すごい単純なことを話してるんだよ。

伊藤:歴史が長いんですよ僕の場合。もうものごころついたときに、もう酔うっていうことを体験してたので、

克服していくのは難しいよね、長いとね。

伊藤:でもわかるのは、ぜんぜん酔わないときがたまにあるんですよ。何時間乗っても。でどういうとき、まあリラックスしてるときとか、ちょっと酒飲んでるときは酔わないかったりするんですよ。

あ、したりするのね。あのさ、すごい象徴的だと思うよあなたのありかたを語る上でその車酔いするっていうのは。

伊藤:はい。そんな気もするんですよね。シンボリックだなあって。

そうだね。なんかろくでもない大切でもなんでもないものを大切そうに抱えてるから。

伊藤:ろくでもないもの(笑)、え、抱えてるんですか?

こないだから言ってんじゃんか!なんか大切なものがすごくあってそれがもう大変で、それには触れられない、それを守るためにすべてを犠牲にしてるんじゃないの、あなた何か。

伊藤:守ってる、自覚はないですね、守ってるっていう。怖いっていう気分だけはありますけど。

怖いっていうことばがでてくるのはさ、怖いって感覚はさ、何が怖いのよ?怖がってるのは誰なのよ、あなたなんでしょ?

伊藤:そうです。

あなたが怖がってるんでしょ?で、怖いっていうのはさ、何かがあるから怖いんじゃないの?

伊藤:次のことばは恥ずかしいってことばですね。

怖いのあとは恥ずかしい?

伊藤:何かそう、恥ずかしさを怖がってる。恥ずかしい気分になるのを。

もう単純なるもう、自我の問題だねあなたの場合。

わかるかい、言ってることは?

伊藤:はい。。

何かが、プライド?プライドにせよ何かがあるからプライド守ろうとするんだろ?何もないのにそれを守ろうとするかい?プライドなんてさ、何かにプライドがあるんでしょ?あんた。だからプライドの問題になってくるし、怖いのもなにかがほらまずいから怖いんでしょ?

伊藤:はい。

何なのよ?

伊藤:やっぱ自己イメージですかね。自分はこうだっていう感覚。

どういう人なのあなたはじゃあ、どういうなのあなたは?かっこいい人なの?

伊藤:まあ自分で思ってるのは、センシティブだと思ってます。自分では、はい。それはちょっと隠して、半分ぐらい隠して、

その繊細さを。

伊藤:はい。

うん。人に対してはね。

伊藤:あと自分はやっぱりスマートだと思ってます。

利口だっていうね。

伊藤:はい。頭がいいと思ってます。

繊細で利口な人間なのね、あなたは?

伊藤:そうですね。あとなんですかね?あとはネガティブなこともいっぱいでてくるんですよ。気が弱いとか、

気が弱い(笑)

伊藤:なんか計算高いとか。。

計算高いとか(笑)。それが自分なの?それが傷つくのが怖いわけ?そのプライドの問題がでてくるのは。そうじゃないっていう自分がでてくるのがいやなのかな?

伊藤:ひとつなんかそういうことがばれて、人に嫌われたくないですよね。ネガティビティが。。

知らない!

伊藤:いや、それ、聞くから言ってるだけですよ。

(笑)

伊藤:いや自覚としてはそんな守ってる自覚そんなにないんですけど。

じゃあなんでプライドの問題だとか、そういうのが出て来るんだよ。
怖がったり不安になったりするのは、例えばね、例えばだよ、ぼくがケンくんっていう息子がいるじゃんか、この子がさ5歳ぐらいだったとするよね、でぼくの横にいるよね?ぼくはね、で危険が迫ってくるとするよね、当然のことながらさ、不安に思うし、怖がるよ。なんとかしてこの子を守ろう、どうやって守るかって考えるよ。それはあの子がいるからなんだよ、5歳の。ぼくひとりだったら問題は、危険が迫ってきて死ぬかもしれない、あとは覚悟の問題なのこっちは。あとは。もうしゃうがない、受け止める、でも最善を尽くすっていう方向にぼくは行くと思うんだよね、それは。だけどこの子がいたら、5歳ぐらいのいたいけな子がいたら、どんなことをしても守ろうとすると思うよ。不安で怖がるし、ということなんだよ。だから何か、何かがないと守ったりとかさ恐れたりとか、恐れるのはさ、要するに自分、が怪我をしたりとかさ、死んでしまうことなんかが怖いから恐れる、というのはもう当然のことなんだけど、でもそれは自分の命ってことでしょ?プライドが傷ついたって命が傷つくわけじゃないんだよね?

伊藤:ないですね。

プライドはあなたの自我が傷ついてるだけなんだよ。いいことなのよ。あなたの自己イメージが傷ついてるだけだから。いいことなのよ。

伊藤:いいことですか?

脱げるからそうしたら。

伊藤:はい。人に嫌われなければいいんですよ、ぼくはたぶん。

なんでさ、人に嫌われなければいいの?

伊藤:人に嫌われるのがいやなんですよ。

そういうのは「いい子ちゃん病」っていうんだよ。

伊藤:い?

いい子ちゃん病って。

伊藤:いい子ちゃん病。うん。

“good girl good boy syndrome” とぼくたち呼ぶんだよ。

伊藤:うーん。さみしくなるじゃないですか、嫌われたら。

どうしてそんな決めつけるの?

伊藤:人が来なく、よって来なくなったら。

それはあなたがそうなんでしょ?みんながそうだとも限らないでしょ?違うか、人によってぜんぜんちがう。ぼくなんか人に来て欲しいと思ってないんだよ。人に嫌われること、なんともないんだよ。人がぼくのことなんと思おうと気にしないって感じでいるんだよねぼくは。まったくゼロで気にしないんじゃないよ、ねえ。もうしかたがないからだよ。自分が自分であることのほうが、人に嫌われるか嫌われないかよりも、そっちのほうがはるかに重要だからぼくにとっては。自分が自分でいること。自分が自分でいることを変えてまで、変更させてまで人に好いてもらいたいとはまったく思ってない、そうでなければ好いてもらえないんだったら嫌われたいですよ、ぼくは。

伊藤:うーん。

わかるかな?言ってるのは。

伊藤:はい。

でもあんたはそうじゃなくて、そういうのはね、いらないものをね、捨てるべきものを捨ててないんだよ、あんた。
人が生まれてくるときにさ、みんな未熟児で生まれてくるじゃんか?我々は未熟児と呼ばないけど、でも普通の動物の世界、哺乳類の世界から考えるとさ、他の哺乳類の赤ん坊に比べると人間の赤ん坊は極めてフラジャイルで、ヴァルネラブル、日本語にするとなんだ、えー、壊れやすくて自分で自分を守ることができなくて、生き延びることもできない状態なんだよね?
他の哺乳類もたくさんもうみんな未熟児に近い形で生まれるけど、人間に比べるとはるかに短時間で成長して自分でやるようなるでしょ?で、そういう状態で生まれてくるなら、人間は赤ん坊として生まれてきたときに、少なくとも親、あるいは大人たちだよね、大人たちからかわいいと思われたりとか、いたいけないと思われたりとかね、とかしてね、なんらかの形でかわいさとかそういうものを使って、好まれないと生き残れないんだよ。たとえば自分の、たとえば二コールがこども生んだとするよね、生んだとたんにニコールがそのこどものことをかわいいと思わなくて、どうでもいいと思うようなこどもだったら生き延びられないでしょ?だからかわいくて人に好まれて、っていう状態がどうしても必要なんだよ。生まれたばっかりのことは。我々はみんなそれを持ってるんだよ。ちっちゃいときに。
で、それは、我々が自分では生き延びてはいけないからその状態なのよ。それが数歳?数歳のあいだその状態をつくって、でかわいがってもらってもう自分の足で立って歩けるようになってある程度になれば、それほどかわいくなくたって生き延びていけるじゃん。ね、だから1,2歳ぐらいまで一番かわいくて、2歳になると terrible two っていうから2歳ってのは何するかわからないじゃん?自由がきくようになって統制がきかなくなってるってことなんだよ、2歳っていうのは。そのためにさ2歳児がいるとさ、もう届くところにものを置いておけないじゃん。それぐらいまではまださかわいさがあって、その後からだんだんだんだん憎たらしくなってくるでしょ、子供って。
それはね、自然なのよ。もうね、かわいいふりをする必要ないの。大人からしなくてもすむの。ところが大変に人間は、幼いころにかわいくて他人から好かれて生き延びてきたっていうことは、そのときにだけ必要なんだよ、かわいさは。なのに、そのあともずーっと20歳になっても30になってもそのこころを置いてこないんだよ。持ってるの。そういうのを僕たちは、good boy sydrome っていうんだよ。いい子ちゃんの症候群。と呼ぶんだよ。それは、成長発達の過程で、絶対的に特定の成長発達過程に必要とされている条件のひとつは「かわいさ」なのね、d、それはある特定のステージを超えるともういらないのよ。我々にとっては。いらないのに、それを持ってるの。捨てるのを忘れてるの。それなんだよ。あんた必要ないよ。まったくそれは。かわいくある必要はどこにもないから。
人に好かれる必要はどこにもないんだよ。かわいくて人に好かれて、いろんな好かれ方があるよね?でもあとになっても好かれよう好かれようって大半の人がするよね?他人にいやな奴だとか悪い人間だって思われることをひとってすごく嫌がるよね?それは幼い幼児のころのその必要性をまだ持ってるんだよ。
それは、あなたがあなたとして成長して大人になっていくことを、妨げるだけ。
もうあまりにも多いので、ほぼ大半のぼくのセッションではさ、いい子ちゃん病は踏みにじられていくんだよね。ずっと。いかにばかなことかっていうのがわかるから。(笑)

伊藤:うーん。

言ってることはわかるかい?

伊藤:わかりますね。たしかにかわいいと思われたいというのは。。

ということは好かれたいってことだよ他人に。好かれたい。嫌われてるといてもたってもいられないかい?
でもあなたが前に話してくれた揉めた相手の人からはどう考えても嫌われているでしょ?あなたは。

伊藤:その親にはきらわれてるでしょうね。

親に嫌われてる。そのことはどうなの?いいの?親に嫌われてても。

伊藤:それはどうでもいいです。

ほら、

伊藤:やっぱりぜんぜんぼく、ぼくもその人のこと嫌いですから。

ほら、どうでもいいって精神は持ってるんでしょ、あんた。

伊藤:あります。

じゃあ誰だっていいじゃん。他の人の場合でもどうでもいいって何で言えないの?

伊藤:えー。。他の人。。でもぼくが好意を持ってる人から好かれたいですよね。みんなに。

(ケン君に向かって)Ken, can you bring that BOKUTOU?

伊藤:え、そんな。。殴るんですか(笑)
それってでもふつう、自然なことじゃないんですか?

自然なこと?

伊藤:人を好きに、好かれたいとか。

(木刀をかまえて殴るまねをする)

伊藤:素直に言っただけですよ。(笑)
ぼくもね、でも自分であることをやめてまでは好かれたいとは思わないですよ。それはすごく重要なことだと思ってます。

でもさ、自分であることからはずれていってまで好かれたいとは思わない、って言ったけど、はずれていかないと好かれない、というような状況はあったかい?そのふたつのことはさ、いま頭の中であなたがつくりあげた世界だと思うんだけど、実際にね、実際にあなたが自分であることをやめなければ相手が好いてくれないっていう現実的な状況っていうのは起きたかって聞いてるんだよ。

伊藤:うーん。。。微妙な話になっちゃいますよね。なんかいま母親の話を思いうけべてたんですけど。ぼくがちょっとこうまじめじゃないことをしたときに、具体的には例えば中学生のときにバンドを組んで、ちょっと不良とバンドを組んで、

ロックバンド?

伊藤:ロックバンド組んで。で、文化祭とかでこうやったときに、すっごいいやそうにしてたんですよ。

うん。

伊藤:でも最後は見にきたんですよね。だからある意味喜んだともいえるんですけど、

でも途中はすごいいやだったのね。

伊藤:もうなんかすっごい嫌そうにしてた。ただやっぱりあとディスコで働いたときとか。もう自分がどんどんこう茶髪とかになっていくじゃないですか?

なるよね。

伊藤:すっごい嫌そうにして。。

あっそう(笑)

伊藤:でもそれはでもぼくはあえてやってたところもあるし。

それで?

伊藤:ないかなー?、あれでも考えたら。決定的に自分を出したために嫌われた経験って。それが気になったことはない。ありますよ、まじめ、ぼくのことをまじめだと思ってぼくを好きだった女の子がいたんですけど、たぶん。でぼくがすごく遊んでるところを見せたらすごく嫌そうに去っていったんですけど、
ぼくはどうでもよかったですからね。

それはそんなに好きじゃなかったからでしょ、あんた。

伊藤:そうですね。よく考えたらないかもしれないですね。

ないと思うよぼくは。

伊藤:ないですね。

だってあなたが頭の中で勝手に。だからさ、つくりあげたこと、ぱっとそのとき思って言っただけだっていうのが明確だからぼく言ったんだよ。ね、メカニズムが当然そういうメカニズムが働くのは当然あるのはわかるんだけど、ね。違うんだよあなたのケースはね。何かがあるんだよ、あんたが大切に思ってるものは。いい?いままで言った自己イメージ、それから人に嫌われる、じゃなくてね、何かあるんだよ、まだ。それを探し出すほうがいいかもしれないね。どうして自分がそうなのかっていうのをね探してみたほうがいいと思うよ。過去の経験からくるのか、どうしても開かれない何かが自分の中にあるのか、よーく見ていったほうがいいかもしんないね。

あのぼくがこうやってさ、人にどう思われようとほとんど気にしないって言ってるけど、でも中には本当にぼくのこと許さないって人も何人もいると思うんだよね。ぼくきついから。もう絶対に自分が感じてることを曲げないから。人と話してるうえで、要するにこんなことを例えばあなたに言ったらね、あなたをかんかんに怒らせるってわかってても、そこにぼくが見ている真相が真実があればそのとおり言う。だからそういったひとはいるんだよ。そういうこと言われると一番腹がたつじゃんか。自分でもある程度わかってるあれなのに。そういう人がいるんだけど結局ぼくの内側になるさ、要するにひと、人に対する気持ちがあるからぼくなんともないんだよね。ぼくはもう明らかに僕なりに感じている愛着とか愛情みたいなものをしっかり持ったうえでその人に思ったことを語ってるから、悪意があってやってるわけじゃぜんぜんないからね。こんなことを言うっていうのは。なんともないんだよね、そういう気持ちがあるから。そうやって自己正当化してるっていえばいいのかね、自分で。

だれだって人に嫌われたくないのは当然だけど。ずーっと人に好かれようとしてると、ずーっと自分をごまかさざるを得ないってのが一番多いんだよね。その間ずーっとごまかしつづけてる、自分を。
でも言ってることは伝わってるよね?ある程度、伊藤君。あの、車酔い、車酔いはさ、試して実験してごらん。克服できると思うよ簡単にあんた。

伊藤:はい。

車に酔うぐらいは、もうそれぐらいは克服しなさいよ。

伊藤:はい。30年間のほっかですけどね。

そんなもの別にたいしたことじゃないから。

伊藤:そうですか?ぼく波酔いもするんですよね。あのサーフボードにまたがってると酔うんですよ。それもでも。。

波乗りしたことあんの?

伊藤:ここでもう2回ぐらい。ワイキキで。

ワイキキで。今回?立ち上がれたかい何度も?

伊藤:一度も立てませんでした。

波乗りしてないよ、それは。(笑)

伊藤:1秒、2秒ぐらい立ちました。

ホームのやつ借りてやったの?あそこで。

伊藤:はい。大きいやつ。ロングボード。

そうか。

伊藤:酔わないと思ったら酔わないかもしれないですね。いま話聞いたから。精神的なもんだっていうのはどっかでわかってるんですよね。

自分の問題なんだよ。

伊藤:自分の問題?

「自分」っていう概念の問題。

伊藤:「自分」っていう概念の問題?

うん。自分の問題なんだよ。自分って概念が前面にでるとおかしくなるよって言ってるんだよ。あの船酔いするよって。だから言ってるのは自分ってものを前面に出すのやめなさいって。車に乗ってたら車そのものになりなさいって。自分がコントロールしようとするんではなくて自分がずーっとうしろに引いて、あずけなさいって言ってるんだよ。あずければ大丈夫よって言ってる。車が勝手にバランスはとってくれるから。事故でも起こさない限り。あずければ大丈夫なんだよ。ところが車が勝手にやってるのに、自分でもなんとかしようとすると、車のこれとこれともうこーんなになって、分裂が激しくてたまんなくなっちゃう。

伊藤:ああー、そうか。ぼくのイメージはね、こう内臓がゆすぶられるんだっていう。。そういうことじゃないんですか?それで気持ち悪くなってるんだと思って。

そうしたら誰でもなるはずじゃんか?

伊藤:そうですね。だからならない人が不思議だったんですよ。なんでならないの?ほんとなんですよ。だってこんなゆすぶられてんのに、なんで気持ち悪くならないんだよ、って。

もうイライラして来たな、聞いてて。

伊藤:いや、わかります、でも。でもどっかではね、わかってるんですよね自分の問題だって。野口先生、整体の本とか読むと、そういうことが書いてあるし。

どういうことが書いてあるの?

伊藤:えーっと、車酔いになるのは甘えから来るって。

ん?

伊藤:甘えだって。

いや、それは日本の精神論だな。

伊藤:精神論ですか?

聞かないほうがいいですよ。

伊藤:あ、じゃあ聞かないです。

あの人たち危ないのよ。野口さんすごい人だと思うんだけど、でも危ないから。

伊藤:近寄らないほうがいいですか?

部分的にしか。明確に、ね、意味のあることも言ってるけど。

伊藤:「風邪の効用」ってのは言ってること同じですよね?

ぼくと?

伊藤:はい。経過させればいいんだって。

だってあれはもうただ単に、要するに漢方だとか東洋の周辺医学のもう基本的な考え方だから。大切なもんなんだよあれは。風邪引くなんていうのは。すごい大切なんだよ。我々はそれを経験するようにつくられているんだよ。だから風邪をひいたら風邪をしっかり経験すること。薬を飲んで止めずにしっかり経験しきるの風邪を。そこにメッセージが入ってるんだよ。あなたの心身システム全体から来てる。こういうことなんだよ、あなたが自分にやってるのはこういうことだよ、こういうことだよ、ってずーっと言ってくれてんだよ。
だから、体験しきることがまず大切。どんな病気でも。どんな病気でも。あの、命とかね、要するに身体が不具になるようなそういうことが危ないときにはもしかして必要かもしれないけど、介入が必要かもしれないけど、それ以外のときは。えー、ぼくはフーリー、エクスペリエンスって言ってるんだよ。徹底的に体験しきる、それを。そうすると人間ってバカじゃないから、二度とそういうことをしないように本当はなっていくんだよね。ただ風邪は軽いからさ、風邪は何度も。大きなことになると。ほら、大病すると人は変わるでしょ?知ってるかい?人間が変わるのよ。例えばぼくの友達関係では上野圭一くんってのがいるんだけど、あいつなんかはさ、最初は普通のテレビマンだったのが、やっぱり大病をしてさ、でぼくと一緒に仕事してくれてたんだけど途中で大病して、西洋医学では理由がわからなくて、それでもう何ヶ月も大変で死にそうになって、で、それから上野さんはアキパンクチャーとかあっちのほうに入っていくようになった。で、パーソナリティも変わってったのよやっぱり大きく。穏やかになってって前よりもね。それはひとつの例だけど身近の人の。そうじゃなくてもたくさんそういう人いるんだよ。大きな病をすると人は変わるんだよ。気がついて。自分が自分に対して行ってた、それこそ生活態度?
あの、要するに死ぬって言われると人はかわるじゃんか。このまま酒を飲んでタバコを吸いつづけると死にますよって言われると、どんなに酒とタバコが好きな人でもとめて生活態度を変えるよね?それと同じようなことなんだよ。それが、死にますよって言われると人は割合変えるんだけど、風邪引いたら死なないじゃん人は?だから治らないんだよ。同じことなんだよメカニズムは。メカニズムはまったく一緒。
風邪は、風邪をひいて調子が悪くなってその徹底的な状態を我々は経験することによって、あー、自分が自分にこういうことをしてきたからこそこうなってしまうから、ま、ここのことはもうやめて、こういうふうにしないようにしよう、ていうふうにしたりするためにあるものなんだよね。メッセージなんだよ命からの。車に酔うのもまったく同じメッセージから来てるんだよ。

伊藤:車酔いもメッセージ?

もう完全にメッセージが来てるんだよ。あなたに。なんで余分な、余分な車から遊離した自我みたいなものでなんとかしようとするのか。

で、いってることはわかるでしょ?

伊藤:はい。これ克服したらぼくインパクトでかいですね。

おー、克服しろじゃあ。

伊藤:めちゃくちゃ大きいですね。

克服しろ。克服しろ、そんなの。ゆれたらゆれたままにしておけばいいんだよ。なんか保とうとしなきゃいいんだよ車の中にいて。

伊藤:うーん。

やってごらん。船なんかが一番いいんだよね。船すごいよ、ぼくはぜんぜんまったく酔わないんだよね。だけど、一回ここでね友達の船でマグロ釣りにいったんだよ。そしてこの島から2時間ぐらいはなれてさ、もう島もなんにも見えない。エンジンが止まりやがってさ、エンジンとまって、そしたらね、うねりがものすごいんだ。ぐわーんって。走ってるうちは船大丈夫なんだよ。エンジンがとまったらものすごいんだよ。これやばいなーって、ひとりが吐きはじめてさガンガン。ならなかったけどね、ぼくはねそれでも。それでもならなかった。大変だったけどね。ただ携帯があってさ、友達の船に頼んで、迎えにくるまでに1時間半ぐらいかかったけど。その間ものすごかったよゆれは。冬だったからさ波がでかいんだよ。波がでかいときも、要するに波がわれてるときも外にでると大きなうねりだからたいしてゆれないの。
それやってごらん。いいじゃん。いいテーマあるじゃん。簡単に克服できるんだよ。あのね、2,3回トライしてうまくいかないからといって投げ出しちゃだめ。これは。何度もやって、ちゃんと車に酔わなくなるまでやってみれば。これは、ほらいいトレーニングだと思うよ。一歩として。それでやってな自分で。

伊藤:はい。やってみます。

まかせてしまう。自分をあずけてしまうってことなんだよね。それをほらぼくなんかはこういうんだよ。サレンダー・ユワセルフって。自分を明け渡しなさいって。surrender yourself to the car 車の中にいるんだからどっちにしって。そうでしょ?

伊藤:はい。車の中にいるのに、車に任せてないっていう。。

任せてないんだよ。

伊藤:車の中にいるんだからあきらめて座ってれば。。

そう、あきらめりゃいいんだよ、おまえ(笑)そしたらもうこんなもの出さなくてすむんだよ。

伊藤:たしかになあ、酔わないようにしようっていうコントロールが働いていると思いますね。

うん。そういうのをね、棹さして流されてるんだよ。有名なことばがあるでしょ?なんだっけ。「棹させば流される」っていう。宮沢賢治だっけ?

伊藤:聞いたことあるけど意味が知らなかったですね。棹をさすと流されるですか?

うん。昔はみんな棹で舟をやってたでしょ?余分なことをキューとさすと、流されちゃう。口を出したりとかね。
来てよかったね。ここまで話がいったもんね。

伊藤:はい。

シンボリックだからね、すごいいいと思うよ。