(4)個人と文化

解説
*トランスパーソナル関係の本を翻訳・出版しつづけてきた吉福さんがこんどは資本主義や民主主義としった社会的な切り口で本を書こうとしている理由について質問した。
吉福さんいわく、人類という共同体に興味が移っているという。

*自分のパーソナリティというのは、文化にプログラムされてきたと思うが、その文化に違和感を感じるのはどういうわけか?文化に左右されない「魂」というものがあるからではないか?と質問した。
吉福さんいわく、それはまぬけな見方だという。文化自体が矛盾と葛藤を含んでおり、その矛盾と葛藤を含んだ状態で個人をプログラムしつづけてきたがゆえに、個人(たとえばぼく)が葛藤を感じるのだ、と見るほうが現実に近いという。
また、日本文化自体に違和感を感じるというよりも、文化の中の立ち位置がしっくりこなかったのだと考えたほうがよいだろうという。

*ぼくは数年前に勤めていた会社を辞めています。「文化の中の立ち位置がしっくりこなかった」、とはそのことを言っています。



インタビュー(4)個人と文化


伊藤:あのー、変えます。あの、テーマがちょっとついていけないことがわかってきたんで。。

ははは(笑)。

伊藤:だめだわからないと思って(笑)。でもちょっと聞きたいのが、いまこんど社会、人と社会という、個人と社会っていったら社会のほうに興味がいかれてるっていう。。

ぼくですか?そうだねある意味ね。ある意味では人類っていう概念で見ようとしてるから。社会、人類の共同体のありかただよね。共同体のありかたのほうに注意がいってると思うね。

伊藤:人類という共同体。

そうだね。社会っていってもぜんぜんかまわないと思うよ。

伊藤:もうちょっと小さい社会、ぼくはまずイメージしてるんですけど、たとえば日本っていう。

日本に帰ってきたら日本だよ。

伊藤:はい。そうすると、いま個人、社会は個人がつくってて、でも個人が成長してくる中にはそのパーソナリティは、かなりカルチャーで社会で形成されるという、こうなんか入れ子構造っていうか、になってますよね?

そうだよね。

伊藤:そうすると、いまぼくなんかがこういるんですけど、まあ基本的に社会、両親。。家庭っていうのも社会の影響を受けているものとすると、もうほとんど。。

うん、家庭は社会のひとつの、もう一応、最小のユニットだよね。

伊藤:はい。そうするとほぼそのカルチャーでつくられたと。

なにが?

伊藤:ぼくのパーソナリティが。

そうだと思います。

伊藤:じゃあ不思議なのが、そういう僕が、なぜその違和感を持つのかなんですよ。違和感を持つっていうとね、なんかここに、例えば日本社会が嫌だ、とか、いたくないとか、なんか違う、とか。で、それは、そうするとそこに生まれ持った魂って言っていいのかわかんないですけど、なにかこうカルチャーに左右されないものがこうあるのかなって考えとしてはあるんですけど。

あなたの中に、あなたは基本的によく見ていくと、どう見てもいまのあなたというのは、日本という文化の徹底的な影響を受けて、その中で育まれてきたとしか思えない。まずね。思えないにもかかわらず、その今の自分が日本の国の中にいて、自分の国、日本の社会との存在の在り方みたいなものにすごく疑問を感じている。でも疑問を感じるってことは、そうやって自分のパーソナリティは形成してきたにもかかわらず、例えば自分の中に、何かそういう文化的な徹底的な影響を受けているのに、それに左右されない何者かがずっと生まれてからこのかたずっとある。からこそ、そういう違和感を感じるんじゃないかっていう質問なの?

伊藤:そうですね。

その見方は、理屈上は非常に単純でまぬけな見方だね。

伊藤:まぬけですか。

んー。

伊藤:吉福さんはどう見てますか、そのへんの。。

そういった見方は。。ちょっと待ってね。あなたが言ったようなそういった見方が出てくる可能性は十分にあるし、宗教教団、カルトの集団、あのようなところからの視点からすると、いまのあなたが言ったようなことをすごく強調しかねないところは十分でてくると思うね。
で、あなたの中にはあらゆるプログラミングから自由な魂が存在しているから、その魂の声に耳を傾けないさい、っていうのが、宗教教団は数多く出てくるような感じの視点だよね。でもそれは実体をまったく反映していないってぼくは思います。

伊藤:あ、そうですか。それは普通のスピリチュアリティの中で言われているスピリチュアリティのことなんですよね?

そうだね。ぼくなんかが言ってるのはカルトだとか宗教はそういうふうになるという、なりやすいというのは、要するにいわゆるスピリチュアリズム、ヨーロッパのスピリチュアリズムだよねもともとはね、スピリチュアリズム的なところからの捉えかたからすると、そういうふうになる視点だね、って言ったんだよね。
で、ぼくが言ったそれはまぬけだね、まぬけでちょっと簡素すぎてまぬけな視点だねっていったのは、何か、何か文化の中にうわっと飲み込まれて成長しているのに、そのことに違和感を感じるものがあるというのは、その飲み込まれているのに飲み込まれてないものがあるんじゃないか、っていう発想だよね?

伊藤:そうですね。

ぼくはそうじゃないと思うんだ。文化そのものが、すでに大きな矛盾をすべて孕んだ状態であなたにプログラミングをし続けてきているんだよ。そのあなたのプログラミングの中に、あなたが強い違和感を感じるような強い差異がすでに存在しているんだよ、いまの状態のなかに含まれる。日本文化そのものがさ、なんかさ純粋に、これが日本文化です、ね、日本のあれなんです、っていうふうに取り出して抽出して、こうなんだってやって呼ばれるような形をもったもんじゃないでしょ?文化と呼ばれるようなものはもちろんその文化の洗練を受けたうえで出来上がった工芸品であるとかね、芸術作品のようなものは存在するけど、基本的にはある意味で目に見えないものじゃない?文化といったようなものは。
で、その目に見えない様々な文化的な風習、しきたり、やりかた、制度、のようなものそのものが、すでに完成されたものではなくて、その中に文化内における相容れない矛盾とか衝突のようなものが全部含まれているのが文化なんだよね。
ですから、あなたがその文化の中で成長発達していく中で、その文化の中でどういうパーソナリティに育っていき、どういう位置に社会の中で自分を置くか、によって、もうすでにプログラミングの中に大きな矛盾と葛藤がはらまれているからこそ、あなたは十分に葛藤を感じ、波乱を感じ、しっくりこない、という感覚を抱く、ことだから。なにか受けないものがあったからなった、っていうよりは、もちろん、ぼくは魂があるなしのことに関しては否定してるわけでも肯定してるわけでもぜんぜんないんだけど、いまぼくが言ったように見ていったほうがより現実に、実情に近いというふうに考えるから。
文化内におけるあなたのね、立つ位置だよ。あなたが前に勤めてた会社、というところに立ってたとするよねそのとき、でも立ってる位置が、位置だったんだよたぶん。あなたはそれがしっくりこなかったんだよ。

伊藤:ああ。うーん。

どんな会社だったか知らないけど、その会社?その会社が社会でどんな立場を占めていたのか知らないけど、そこにいるのがやっぱりあなたにとってはしっくりはこなかったんだよね。

伊藤:うーん、じゃあ日本社会全体のことをぼくは別にフィーリングしてるわけじゃないって考えたほうがいいんですね。

が、いいと思いますね。そのほうがいいと思いますね。

伊藤:もうちょっと狭い範囲のことで違和感を感じたりなんとかしてると。

そうだね。

伊藤:じゃあ、日本社会が、っていうようなことを考えたり議論するよりも、自分の立ち位置を探ったほうが。。

そういうところから来ているもんだとぼくは思うけどね。ただね、ただ、たくさんの人がさ、あなたと同じような違和感を感じると思うんだ。

伊藤:そう、そうなんですよね。うん。

学生を経てさ、社会にでてからさ、自分でいろいろやりはじめたりするじゃんか、で、違和感を感じて、いろいろ葛藤したりとかいろいろすると思うんだ。ただ、まあ最近は数が増えてきているんだと思うけど、あなたのように、違和感を感じたから実際に辞める、っていう行動に移る人の数は総合的にはそんなに数は多くない、かもしんないえけど、いまぼくは徐々に結構早いスピードで増えてきてると思うよ。
もうこれはたまらない、ここは違和感があっていられない、となると辞める人の数は増えてきてると思うんだよね。で、そういう行動する人の数が増えてきているのはぼくはすごくいいと思うんだよね、それはね。
違和感を感じれば辞めればいいんだから、立つ位置を変えればいいんだからね。あるいはその文化から出てしまってもかまわないから。