(8)マトリックスつづき編

解説



インタビュー(8)マトリックスつづき編


つづき

伊藤:はい。社会学でいうとなんか、戦後の日本がアノミーになってるっていう、

ん?

伊藤:アノミー。

なにが?

伊藤:戦後の日本社会が。

うん。

伊藤:で、そういうことをおっしゃったんですか?

うん、そうともいえると思うね。ほらあなたはまだ34年でしょ、いま戦後さ、64年ぐらいたとうとしてるよね、戦後のもう30年ぐらいたってからしか、あなた生まれてきてないんだよね?

伊藤:はい。

ぼくは戦争中に生まれてるから、ずーっと見てるんだよ。日本の社会の経過をね見てきてて。
まあーでもね、いまいっただけでは片付けられないんだよね。あの、第二次世界大戦の終焉っていうのはさ、マトリックスの喪失だけではなくてさ、巨大な価値観のどんでん返しが同時に起こったんだよね。だからその衝撃があまりにも大きかったんで、価値観のどんでん返しのね、衝撃があまりにも大きかったので、その衝撃を取り込んでいかなきゃいけないから、考慮していくときにね、なかなかうまく取り込んで、どれぐらいの衝撃があったのか。みんな大半のひとがさ、あまりの混乱状態でほぼ言葉を失ってたんだよね。戦後すぐは。ことばを失って語られてないし、反動がすごく激しかったんだ。天皇制をマトリックスにもってったことに対する反動?そこに民主主義だっていうふうなことが持ち込まれてきたでしょ?反動がすごくて、それに対するね、警戒心、不安が強い。それをもっとも象徴してる集団がいたんだよ。日教組と呼ばれる。日教組っていう集団がさ、要するに全体主義にいくことをもう極度に恐れてて、で、コミュニズムであるところに走ってて、もうすべて否定的にそうやって見ていったんだよね。わかるでしょ?戦後の教育がそうだったから。あなたぐらいの教育になってきたらまだ少し落ち着いてたけど、戦後10年20年の教育期間ってのはもう大変だった。ちょうどアメリカで、マッカーシー旋風なんていうのがね、あんた知らないよね、マッカシー知ってるかい?

伊藤:はい。赤狩り。

そう赤狩りをやってた。あの時代に対応するぐらいのあれだったんだけど、日本でその状態があって。だからほんとに歴史の日本の流れを語っていこうと思ったら、その価値観の崩落状態のね、インパクトの大きさを入れていかなきゃいけないから、単純には語りきることはできないけど、でもマトリックスという概念を入れるとわかりやすくなる。ということだよね。それでそう語っているんだよね。大丈夫かな?

伊藤:はい。ぼくはちょっと個人のほうばっかり考えてましたけど。

あ、もう個人のほうも、すごく明確だけど、集合的にももう十分にいっぱい、集合的にも文化的にもあてはめられるし、あと組織論、組織にもそのとおりあてはめられるから、マトリックスというのはね。
だから、いくつかの、もうこれ語り始めると、マトリックス論はさ、いっくらでも語れるから。いくつかのね、いくつかの問題があるんだよぼくがいま考えてるマトリックスに関してはいくつかの問題があって、えー、たとえば集合的なことを語る場合、たとえば日本文化ってした場合にね、日本文化のマトリックスが日本文化内に存在する特定のものになったりする場合があるんだよ。天皇制なんていうとさ、天皇っていうのは日本文化の外にいるわけじゃないんだよね?日本文化の、要するに例えば河合隼雄さんなんかが言うように、中空構造なのよ。わかるかね?空洞構造なのよ。日本文化の内部に存在する空洞でありながら、同時にその文化全体のマトリックスを果たすっていうね、要するに、マトリックスとして頼る、どう言えばいいのかね、自ら自分自身をマトリックスとする作業のひとつなんだよ。集合的にみてった場合に。わかるか?

伊藤:。。。

ちょっとね、理論的に展開していくのに、大きな突破が必要なところなんだ。

伊藤:マトリックスそれ自体を、マトリックスによっかかる集団が同時につくりながらよっかかってるっていうことですか?

マトリックを?あ、つくりながら?まあ、つくりながらっていう捉え方でもかまわないんだけど、基本的には、えー、そうね、そういうふうにも言えると思う。

伊藤:例えばぜんぜんちがうんですけど、クリシュナムルティの本を読んだときに、彼がある会の宗教組織のトップに選ばれて、だけどえらばれたときに彼は解散しますよね?

そんなこと言わなくてもちゃんと名前を言ってくれれば大丈夫だよ。ブラバツキーの神智学協会のこと言ってるんでしょ?

伊藤:あ、はい。たまたま名前を忘れてただけです。

あ、そうなんだ。

伊藤:そのときに、クリシュナムルティが、

まだガキだよ、忘れちゃだめだよ。クリシュナムルティはこどもだったんだからね、そのとき。もうブラバツキーあたりからひっどいきびしく育てられたんだよ。

伊藤:うーん。

それで?

伊藤:それで、自分がまあトップ、

救世主。

伊藤:救世主になった。その救世主の名において解散するって言ったんですよね?

うん。

伊藤:そうしたら人々は、解散することを選ばずに、クリシュナムルティを追い出すことを選んだと。

実態はそうじゃないんだけどね。

伊藤:うーん。

それで?

伊藤:そうするとその神智学協会っていうものが、結局、みずから、救世主に絶対帰依すると言いながら、自分で、自分たちで救世主をこう選んでしまうっていう。。

クリシュナムルティがね、蹴ったのよ。基本的に。拒否したの。跡継ぎになることを。当然なんだよ。で、跡継ぎがいないと神智学協会はすごくまずいから、まずいからもう追い出すしかないじゃん。もう当然のことだと思うんだけど。それがなんなの?

伊藤:そうするとそこの構造に、その神智学協会ってものが、結局はそのクリシュナムルティというもの、そのトップに帰依している、服従している、サレンダーしているように見えながら、

神智学協会はサレンダーを要求するところではないよ。

伊藤:あ、ちがうんですか?

信仰を中心とした集団ではぜんぜんないから。神智学はより神秘主義だから。神秘主義はほら信仰を要求しないから、基本的に。ぜんぶ自らの歩みによって自らを磨いていくって考え方だから。いまあなたの説明の仕方は、たんなる新興宗教のカルト集団を語ってるならわかるんだけど、神智学協会は少々違うよってぼくは言ってるんだよ。信仰はからんできませんよって。

伊藤:あ、信仰じゃないんですね。その天皇、、

行なんだよ。修行なんだよ全部。信仰ではぜんぜんないんだよ。信仰はまたまったく別のもんだよ。

伊藤:うーん。その中空構造っていうものをイメージしたときに、そういう話。。

で、その中空の空なるところに天皇制ってのがいるんだよね。でもそのありかたっていうのはね、ちょっと尋常じゃないやりかただよってぼくは言ってるんだよ。だから、自らの内部の空洞の中に、自分のマトリックスを見出すってことになるんだよ。個人からすると。その空洞っていうのはいったい何なのかっていうことなんだよね。
まあ究極的に、もうこれどんどんいくら言ってもしょうがないから、あなたの理解にそってしか話をしないけど。で、どうもこういう話するとさ、あなた単なる知的興味の対象でしょ?こういう話は。

伊藤:そうですね。

ぼくは対応する気はない。それは。あなた自身のことに繋がっていかないでしょ?

伊藤:えーと、ぼくこの話を持ち出した、自分に関係があると思って持ち出したのは、まあ単純なんですよ、まあ会社を辞めたりしていま宙ぶらりんで、不安があるわけですよね。で、まあ会社というマトリックスであったっていう自覚はあるんですよ、やっぱり。僕にとって。

あ、勤めてたことはね?

伊藤:で、いまはこう無くて、で、いま、なんでしょうね、なあ人間関係とか、まあ家族ってのはありますけど。いわゆるじゃあ、単純な話すると、たまにこう、やっぱ会社に入りたいなって思うときがあるんですよ。

ほおー。

伊藤:不安になったときに。でもそういうものを求めてるのかなって。エサレンにいるときにすごく思ったのは、働きながらそこにいると、もうそこの一員だっていう感覚がすごくあるんですよね。そのこと自体を求めているっていう。ゲシュタルトを学びにきたとか、いろいろそういう理由で来てますけど、例えばここで働かずにお金だけ払ってゲストでいられるよっていったら、あんまりうれしくないです。

ああー。ワークスカラーみたいなのが、メンバーの一員みたいに思えるから?

伊藤:はい。で、そのときに、やっぱりその、なにかの一員だっていう感覚が自分がすごく求めてるって気がすごくするんですよね。

それは、要するに所属意識の話だよね。

伊藤:はい。

まあ人は、大半のひとはそういう意識はぼくあると思うんだけよね。とくにどっかに所属してない、ときなんかは、家族だけではね、どうしてもあれだから、あるとはよくわけるけど。ぼくはもう逆だけどね。所属したくないんだよね、どこにも。

伊藤:うーん。そうなんですか。

それはやっぱりヒッピー的な背景があるからだと思うんだけど、制度、組織には絶対的な不信感があるので、もう所属することをものすごい嫌がるんだよね。だからぼく名刺も持ってないしどこにも所属してないからさ、基本的に。でもあなたの気持ちはよくわかる。普通の気持ちで、すごい安心感をくれるんだ、そういうのがあると。で、エサレンならエサレンでさ、そこで仕事をしてるってことはさ、エサレンとの間にアイデンディティが出来上がってくるんだよね。

伊藤:はい、ええ。

そのあたりは、でもそう思うんだったら何か所属してみればいいんじゃないの?突破していくしかないと思う。あの、無視できることではないから、そういう、そういう。。でもあなたが。。あのね、エサレンでの経験こんどで2回目でしょ?

伊藤:はい。

もう一回よくね、吟味してみたほうがいいと思うよ、自分で。どういう経験だったのかってことをしっかりと。反芻してって、自分で。だから、あなたの話を聞いてるとさ、意識の、あなたの意識の中の非常に表層的なん部分の話があると思ったら、そうじゃない部分があったりして、こういうふうにすごくゆらいで、視点から話がくるから。どっかに所属するってことを、本格的にエサレンのメンバーになってみればいいんじゃないの?そういう部分があるんだったら。なって、しばらくやってみて1,2年、やってみて、で、同じように思うか、思ってるかどうか、調べてみるといいんじゃない?
あの、気持ちよくわかるけど。よくわかるけどぼくは共感はぜんぜんないので。
あなたの気持ちに。ぼくエサレンなんて関係をもちたいってまったく思ってないので。

伊藤:うーん。

あ、それはぼくずっと前にいくつも経験があるからなんだよ。他のことでもこの国?この国とも深い関係を持ちたいと思ってるわけではないし、日本ともそんな深い関係を持ちたいとは思ってるわけではないから。ただ否定できないからね、自分が日本文化で生まれ育ったってことはね。それは受け入れるけど。どっかに所属するんだったら、もっとも小さい範囲で人類。できれば命。のひとりっていうところには所属してると思うし、ってのがあるけど。
だからいまあなたが言ったことなんかをぜーんぶ総合して見ていくと、やっぱり行き着くところはただひとつなんだよね。やっぱりベーシック・アングザエティ。

伊藤:うーん。

ベーシック・アングザエティがすべてを、あなたがここにいるのもベーシック・アングザエティのおかげなんだよ。

伊藤:おかげ?

そうだよ。あなたがこういう人間なのもベーシック・アングザエティのおかげなんだよ。だから、それがもっとも強く作用してるんだって言ってるんだよ、あなたの中で。

伊藤:はい。

おかげ、っていうのは、ていうのは強く作用してるからあなたみたいな人間がいるんだよって言ってるんだよ。こうやって。だから。。どう言えばいいのかね。。その、おとといはなしたそのベーシック・アングザエティっていうことと取り組んでいくのが最も直裁的な取り組みだよね。あなたの場合はね。いえるのは。それと取り組んでいかないと、で、おそらくベーシック・アングザエティをベースにしてつくりあげられたあなたの世界はほぼすべていらない世界だと思うので、あなたにとって必要のない世界だと思うから、そのあたりを順番に捨てていくしかないんだよな。

不安はだいたいね、余分なものをつくって、余分なものを置くことによって安心の幻想に入るんだよ。だいたい、人は。わかるかい?組織、会社に所属してもさ、会社なんてさ、永遠の命を保証された組織じゃないでしょ?ちょっとだめになったらすぐ潰れちゃうでしょ?どんなでかい会社だってなんだって。でもそれだけでも安心感が得られるんだよね。そんなはかないものによりかかることによって。幼いこどもでも、母、母によりかかるけど、マトリックスとして。母も有限の命だよね?いつどうなるかわからないよね?そういうあやふやなものによりかかってやってくわけだよね。でもそれでも安心感くれるんだよね、当然。十分な安心感くれるんだよね。安心感を求める気持ちの根っこにあるのは、あなたの年齢になってあなたの成長度合いをしたうえで、そういったようなかたちで安心感を求めるっていうのは、基本的な不安感に対処しきれてないからだ、というふうに見えるから。もうあなたが自分でもよく知っているように、不安が不安が増幅して、不安、不安ってやっていく、そのパターンを断ち、反復を断ち切ることだよね。それしかないんじゃないの?それ断ち切ると、自分をとりまく景色がぜんぶ変わってくると思うんだけどね。

伊藤:はい。

いまのことに関してはそれぐらいしか言えないよね。

伊藤:うん。。ぼくいま気づいたんですけど、ぼくマトリックス論を、ベーシック・アングザエティ。。とにかく何かよりかかるものが必要だってことを肯定するふうに捉えてたんですよ。マトリックスが必要なんだ、人間にはって。

いや、必要だと思うよ、ぼくは。必要なんだけど、あなたぐらいの年齢になったり、成長がねたとえば30、年齢では切れないけど、成長がある程度働いてくると、そのマトリックスっていうのは、まあ坂田君があなたにどこまで説明してったのか知らないけど、マトリックスは成長発達に伴って変化していくよね?変化していくにしたがって、全部抽象的になっていくんだよ。どんどん抽象化していくわけ、マトリックスは。いいかい最初は母の子宮という物理的なものだよね、出てきた後は乳房を通した接触だよね。母の乳房だよね。で、そのあとは母という人間になっていくよね。で、だんだん社会になっていったりしていって、だんだん抽象的な価値観であるとか、倫理観であるとか世界観であるとか、そういったものにどんどん変わっていくんだよね。で、どんどん抽象化していって、ある特定のところまでやってくると、ことばにもできないような概念がマトリックスになったりするんだよ。究極的なマトリックスっていうのはね、仏教、ヒンズー教の伝統から見ていくと、「空:くう」なんだよ。「無」。無とか空をマトリックスとして存在しうるかっていう公案ができあがってくるんだよ。ほとんど意味がないんだよ。マトリックスが必要だと言っても。マトリックスの定義なんかは聞いてるかい?一応。坂田君たちなんかから。マトリックスの定義は一応するんですよっていう。

伊藤:いや、聞いてないです。

そういう話もしてないとまったく中途半端だよね。

伊藤:いや、ほとんど話は聞いてなくて、なんかちょっとWEBで見たのと、誰かがこういう話を聞いたっていうのを。5分ぐらい聞いて、ぼくが勝手に、こういうことを言ったんだろうと思って。。

ぼくがそういう話をしてるのを聞いたっていうのがあったのね。

伊藤:はい。

ねえ。どういうふうに説明するかね。自分で考えてごらん。自分がお母さんの子宮の中にいる間、お母さんの子宮が何をしてくれたからあなたは生き延びてこられたのか、生れ落ちてから2歳ぐらいになるまでの間、マトリックスの母親との関係を結んだから生き延びてこれたのか。てことを考えてみて、それが、究極のマトリックスである「空」をマトリックスとした場合にも、ここで与えてくれたもの、マトリックスが与えてくれたものがあったからこそそれがマトリックスになったんだよね、子宮とか母が。それと同じ定義がここにもあてはまるんだよ。それが成長発達の姿なのね。体の成長、こころの成長を便宜的に二つにわけて考えてみると我々は言うんだけど、体の成長発達で働く原理は、こころの発達成長とまったく同じように働いてる原理なんだよ、ぼくから見ていくと。だから、例えば「空」をマトリックスとして生きていくことができる人間が存在したとしたら、その「空」という概念、「空」というマトリックスは、母の子宮、というね、胎児にとってのマトリックスとまったく同じ条件をその人にとっては備えているはずだってぼくは言ってるんだよ。だから自分で考えてごらんなさいって言ってるんだよ、それを。
母が、あなたのマトリックスだったときに、その母のマトリックスを定義してみるとどういうことなんだろうってことを考えれば、「空」をマトリックスとしたときに「空」はどういう働きをあなたにとってするか、っていうふうに考えればいいんだよ、ってぼくは言ってるんだよ。伝わったよね?今のは。

伊藤:はい。

そしたらわかると思うよ。聞くんじゃなくて考えなさい。心配とか不安をベースに考えるってことをするんじゃなくて、人間のね考える能力っていうのはそういうことのために与えられたとはぼくは思ってないんだよ。だから、そうじゃなくていまみたいなことを、考えてみればいいんだよ。大丈夫?

伊藤:はい。

あの、マトリックスの話はね、特に心理療法の中ではね、参加者にさ、参加者に自分自身に目を向けてもらういいテーマなのよ。ひとつなんで、とくに日本でセラピーをやると、母親との問題が大きい人がものすごく多いんだよね。もう大半のひとがそうなんだよ。なのでぼくはよくマトリックスの話を、よくといっても始終するわけじゃないけど、たまに話をするよぼくは。わかりやすくなるようにね。とくに母親を断ち切る、っていうことを理解してもらうために。母親に飲み込まれて、母親の望む人生を送ってる人が大半だから、そうじゃなくて、どうやってその母親を断ち切るか。母親がマトリックスとしてほんとうに存在したのは、3,4歳ぐらいまでで、そのあとはね、もちろん母であることにはまったく変わりはないけど、マトリックスである必要はどこにもなくなるので、もうちゃんと捨てたほうが気持ちが。。ただ母親がさ、自分がこどもとか小さいこどもとか赤ん坊のね、マトリックスをやってるときにね、ものすごいね、生きてることに充足感を味わうらしいんだよね。その充足感が捨てられないのよね。で、もっともっとでね、ぼくぐらいの年齢、60を超えた年齢になってもその60を超えた人の母親っていうのはね、母親であろうとするんだよね。マトリックスであろうとするんだよ。まあうちの母はもう違うけどね。もう違うの逆だけど。ぼくが彼女のマトリックスになってるの。っていう感じになってんだけど、そこまでくればまだぼくは自然だと思うんだよ。ところが、なかなかそこまではこないんだよね。って人が多いから。そのためにマトリックスの話をぼくは結構よくするんだよ。してあげないとわけってくれないからね、まったくね。

伊藤:あれですかね、話ちょっとかわるけど、吉福さんは例えば日本、セラピーにくるひとの大半が例えば母親の望む人生を生きている、っておっしゃいましたけど、そういうことをやっぱり寂しいことだと思われるんですよね?

いや、さみしいことっていう感覚はないけど、えー、もう明らかにその呪縛から離れないと一人の人間としてこの地球上に立てないってのは明確だから、立ちたくないんだなーっていう。日本人というのは文化の中に埋没していることを最も好み、文化から頭をもたげて、いい?、”一人”で立つことを潔しとしない民族っていうふうに見えるんだよ。全体的に一般としてみたときに。
ぼく、ただそういうふうに見えるだけで、まあそのままの状態だとこれどこへも行かないよなあ、文化が悪循環でぐるぐるぐるぐる堂々巡りするだけだろうなあ、っていうふうに見てるけどね。やっぱり絶対的にその文化に飲み込まれることを拒絶して、そっから頭をもたげてくる人の数が相当増えてこないとこの文化は変わっていかない。というふうには見えるけどね。ただ、慎重だよね日本のひとはね、そのへんね。臆病なんだと思うんだよね。利口だからこそ臆病なんだと思うんだけど。この国のひとなんてさ、みんなさ、利口じゃなから、ミーイズムがすごく支配してたじゃない長い間、80年代から。あの、文化というかねその社会全体の中で埋没することを好まないんだよミーイズムのひとって。個人主義者は。不用意に好まないことはね非常に危ないんだよ、文化にとって危ないし、本人にとってもね存在しにくいから。あまりに不用意な人が多いんだよこの国のひとは。だから要するに社会のことをまったく考えない、もう自分のことしか考えないで社会にでてるひとがすごく多いの。で、ぐちゃぐちゃになってんだよね。そういう社会をつくることを日本全体がすごく恐れていて、ほっとくとね。で、ちょとじゃあフリーターのひとが出てきたりとか、なんだっけ、ニート?のひとが増えてくると社会問題として取り上げてやってるでしょ?要するにすごい慎重なんだよね。どうなるかわかんないことを見ると、慎重でなんとかしようとするじゃんか。そのあたりがなんかね、まあ白人社会というかアメリカみたいな社会と、東洋の日本のような社会の決定的なちがいかもしれないね。慎重なんだよね。さびしいっていう感じではぼく捉えない。しょうがないよなーって、いうふうに思えるけど。それやってるとね。

ただ一人ひとりの話を聞いてると、ほぼね、みんな、いかんともしがたくそうなってるんだよね。大半のひとの人生っていうのは。いかんともしがたいっていうのは、本人がもうこれしかないと思って、いかんともしがたくそうなってる場合が多いんだけど。でも結果的には母親に母性に乗っ取られてるんだよね。
言ったでしょ、おとといかなんかのときに。なんでもするよって。手練手管どころじゃないよって言ったでしょ。お母さんがこどもに、自分から離さないためにやることは。そこまでやられるとだいたいもういい、わかったわかったいいよいいよってなるでしょ、人間。そうなってんだよ、だいたい。で、母親の特徴として、あなたのことを思ってるからこそこういうなのよ、ってのが母親の得意な手でしょ?それにgive inするんだよ。大半のひとが。

伊藤:うーん。。ぼくがこうやってここに吉福さんの話を聞きにきてるっていうのは、逃れたいからだと思うんですよね。

なにから?

伊藤:そういう母親の縛り。

じゃ殺ししかないだよ母を。たたき殺しなさいよ。

伊藤:はい。

自分の内側にいる母親をね。それしかないと思うよ。

伊藤:うん。。吉福さんが「生命の息吹」ってことばを使ってるんですよ、本の中で。

どういう前後関係で?

伊藤:えーと、生命の息吹ともいえるような、内側からくる衝動ですね、それと触れられなくなっている人が多いっていうような。

そう思いますね。

伊藤:それ、情熱とかと近いことですか?ことばとして。。

情熱もそのひとつだよね。情念もそのひとつ。もうあなたも知ってると思うけどぼくは、人?人を動かす最大の力は情念(情熱?)だと考えてるんだよね。

伊藤:情念?

パッション。

伊藤:パッション。

パッションが人をつくり、パッションが人そのものを生きさせるってぼくは考えているから、生命力そのものがそこにあるから。それはそうだと思うよ。命の息吹、のようなものはもう情熱、として我々に感じられる。

伊藤:ぼくのフォーカスポイントはもうそこだけかもしれないですね。興味のあるところは。いろんな話を聞きにきてますけど、ぼくの問題。。

その命の息吹っていうようなことばでぼくが言ったりするような、情熱、のようなもののこと?

伊藤:はい。それに触れたいし、触れながら生きて生きたいっていう、それだけですよ。はい。

じゃあ単純じゃん。今日いちばん最初にその構造を話したじゃんあなたに。あなたがこれまでやってきたこと、いま自分自身で自分がやってることはほぼすべて、それに触れられなくするための手段として使われてしまってるから、ね、いまあなたがやってる、営みの中でやってることをほぼすべてやめなさい。それを止めれば触れられるよ。だからさ、頭にさ支配されるんではなくて、細かく言ったじゃん、どうやればいいかって。思索っていうのは、起こってきたら要するにひっかからなきゃいいんだってぼく言ったでしょ。いろんなことを考えるのはしょうがないかもしれないけど、トレーニングしていけばだんだんほんとに考えなくなるんだよ。だけど、トレーニングする前は、ひっかかるかどうかが問題だから、ひっかかるな、って。ひっかからないようにするんだって。だからもう消していくしかないよね。
で、その要するにね、あなたもそうだと思うし、社会そのものもそうだと思うんだけどさ、どういえばいいのかね、、あの、ナルシシズムなんだよ要するにね。根っこにあるのは。あなたの場合もそうだよ。ナルシシズムっていうのはだいたい自分に対して徹底的に余計なことをするんだ。自己愛って呼ばれるものなんだけどね。だから、そのあたりのことをしないっていうのはどう言えばいいんだろうね。もうさっき全部言ったと思うんだけど必要なことは。

伊藤:はい。

あとは知らないよ。あなたに。。

伊藤:実践的なことはお聞きしましたね。

ん?

伊藤:実践なことは聞いたと思うんですけどね。ぼくは今日実はここに来るときの意図は、その情熱というものに触れる、触れながら生きていくっていうことに向けて、そういう、ま、それが僕の課題なんですよ。で、同じような課題をもつ、たとえばぼくの同世代とか日本のひとたちに、吉福さんの声を出そうと思ったんですよ。まあこれできるかなあと。まあそれにからみそうなことを、いろんなテーマの名のもとに聞いていこうかと思ったんですけど、まあ、なかなかからまなかったりしたんですけど。

そうだよね(笑)

伊藤:もうぜんぜんぼくの状況を超えていっちゃったんですけど。マトリックス論なんかもそうだったんですけど。そういうふうに、ぼく吉福さんのことばをまとめたいと思っているんですよ。そこに向けて。

もう好きにすればいいと思うんだけど、ぼくは自分の、あなたならあなたを見て話してて思うことしか言わないからね。

伊藤:はい。

どうしてもほら、あんたとこうやって話してるとあなたのこととして、

伊藤:そうですね。それでいいんですけどね。

うん。話していくとね。理論みたいにはね別にでてこないから。ぼくはほら、ただ理論なら理論としてしゃべることも十分できるけど、いまあんまり面白くないんだよねそれがね。

伊藤:そうですね。うん。

やっぱ生き物、ひとりの人間っていう生き物と、からみで語っていくのがぼく一番好きだから。
そうじゃないと”利益”(※あいまいです)がなかなかないしね。

最後の(※あいまいです)という部分は、あとから録音を聞いてもうまく聞き取れなかったところです。たぶん「利益」と言っています。
意味的には話の流れにあっていると思いますが、ちがうコトバだったかもしれません。一応、あったほうがいいフレーズだと思うので訂正せず残しておきます。