(3)資本主義

解説
資本主義について。

資本主義を考えるときには、国全体の経済的レベル、その国の国民の生活レベル、その国民の全体的なパーソナリティーの発達レベルをすべて全体的にからめて見ていく必要がある。

**吉福さんが言及している「この国」とはアメリカ合衆国のことである。

*世界中に様々な資本主義がある。各国によって規制がちがう。
*最終的の理想の姿は、規制のまったくない自由市場。そこにいくにははるかに時間がかかる。どうやってそこに到達するのか。
*どうやったらできるだけ富の格差の少ない資本主義がつくれるかを探ろうとしている。
*地球全体をみると、貨幣経済にくらべて物々交換が現状でも大部分を占める。
たとえば家庭の仕事は 物々交換。
*資本主義の未来には光があるんだ。いまは実験段階。この実験はまだまだ続く。この実験をつづけていけば突き抜けられる可能性は十分にある。実験だから実験にはたくさんの犠牲が伴う。
*人類という種は総体として一生懸命に実験をしている。この地球上でなんとか生き延びるために。

*ここで日本の現状について質問を投げています。
ぼくの疑問はこうでした。日本全体としては富が十分にあるように見えるのに、どうして多くの人々は不安の塊のようになっているのか。一億2000万人がそこそこ心配なく暮らしていけるだけの富が日本にはあると思うのに、そこはかとなく生活不安が覆っている気がするのです。
*それに対して吉福さんは、「世界の現状に対する視線の投げ方が徹底的に足りないからだ」と言います。
*日本人は余裕があるのに文句ばっかりいっている。自分の現状を見るときに人類全体像に照らして見るべきだ。世界状況を知ることから始まる。




インタビュー(3)資本主義



伊藤:それでは昨日続きでお願いしたいんですけど、じゃあ二つめのテーマの「資本主義」についてどういったメッセージを。。。

吉福:ぼくが出していこうとしているかのか?

伊藤:まず現状をどう見ているのかっていう。世界といいますか。

吉福:これさあ、

伊藤:はい、大きすぎましたね。。

吉福:うん。

伊藤:わかりました。

吉福:
もう何時間かかかるよ。ぼくが納得する形で、説明していくと。
例えばさ、資本主義といっても、どういう、どういう基本的にその各民族各国なんかのさ、例えばアメリカの資本主義を取り上げてみようかな、ヨーロッパのにしようかな、一例を挙げていくとわかり易いと思うんだけど、国全体の経済的レベルと、その国の国民の生活レベルと、さらにはその国民のもってる全体的なパーソナリティの発達成長のレベル、のようなものをぜんぶ組み合わせて見ていかなきゃダメなんだ、資本主義とのからみのなかで。

例えばさ、この国というのは、80年代に、一般的に言われてるのは80年代にミーイズムがすごく明確になってきて、自己中心主義的なね、その成長発達、とくに日本でいう段階の世代だよね、こっちのベビーブーマー、戦後すぐのベビーブーマーの人たちの間でのそれがすごく激しく展開したって言われてるじゃん。でもそれが当てはめられるのはさ、アメリカの国民の中のね、本当に一部なんだよ。カリフォルニアだとか、ニューイングランドだとかあっちのほうのね、白人の特定の生活レベルを軽くクリアしてる人たちの間であって、黒人の人たちだとかね、カリフォルニアとかテキサスに多いチカーノ、メキシコから来ている人たちだとか、東海岸のほうにいるさ、ラテンアメリカの人たち、いっぱいいる人たちだとかね、例えばアジア系の特定の人たちだとかね、にとってはまったく関係のないことなんだ。だけど、そのミーイズムと呼ばれる個人主義が徹底的に展開していて、経済的にもある程度、生活に、生きていくに困らない以上、はるかにいい生活レベルをしている人たちの間における資本主義のありかたと、まったくそうではない国における資本主義のありかたってのはまったく異なってくるんだよね。

で、世界中に、ぼくは、いま資本主義の形はさまざまな形があると考えるんだ。
アメリカの資本主義と日本の資本主義は違うし、日本の資本主義と台湾の資本主義は違うし、台湾の資本主義とインドの資本主義は違うし、まったく異なった橋を渡して、中国の資本主義と、例えば今度はフランスの資本主義は違うし、っていうそういうふうにその国ごとに資本主義は必ずレギャレイトしているじゃないですか、あの、規制しているじゃないですか。資本主義の完全な市場中心、自由主義、を徹底的にやれる状況じゃぜんぜんないのは知ってるよね?
各国の資本主義によって全部レギュレイションは違う。状態でしょ?で、なぜそう違うかというと、その背景には文化的な背景があって国民性の問題があるし、で、さっき言ったような経済レベルの問題があるし、国の力の問題があるし、で、個人、人が人生とは、人間が生きていくとはどういうことだというふうに考えているか、個人主義的に考えているのか、個人主義にまだまだ到達しないでね、要するにその国の文化、文化の言うとおりに生きていけるのが最も幸せだと思っているところにいるのか。あるいは個人主義をはるかに超えてしまって、というところにいってるのか、向かってる人たちなのかによって、資本主義の捉え方がまったく変わってしまうんだ。
変わってしまうから、地球上にいまね、相当多様な形の資本主義の形が存在してるとぼくは見てるんだ。だから、できうれば全体的な現状の経済状態と現状のその国で暮らしている人たちの発達成長の度合いと、そういったことや、その背景となる文化、その民族の文化、といったものを全部かみ合わせたうえで考えていかないと、資本主義の問題をいちいち語っていくことはぜんぜんできないんだ。

で、あなたの問題定義からしてしまうと、もう大変。いっくらでも。まず話していって、こういう風に思って、これこれこういう点が資本主義の共通項で、ってことを全部抜き出していって、で、じゃあこれからどういうふうな方向に資本主義をやっていけばいいのか。
最終的にはね、もう最終的な理想の姿は明確なんだ。もし資本主義をやっていくんだったら、最終的にはあらゆる規制をすべてはずした、もう規制のまったくない形の自由競争、をベースにした資本主義、がたいした問題が起きずに展開できるようになるのが、資本主義というシステムから見た場合の最も理想的な姿なんだよ。
で、そこにいくにはもうはるかに時間がかかる。どうやってそこに到達するのか。で、そこに到達して、その資本主義の理想的な姿の中で、どういうね、もう徹底的に自由なんだけどなんらかの枠組みって必要じゃない?資本主義の。
で、どういう形の資本主義と呼ばれるものの枠組みが最もいいのか、あるいは、その資本主義という枠組みを取っ払うぐらいの変革が必要なのか、ていうようなことをぼくは探ろうとしているんだよね。

で、同時にひとつの大きなそういう資本主義の形ができればそれで全部が地球がそれで動くかというと、そんなことじゃぜんぜんなくて、いま現在存在しているような様々な資本主義、資本主義と社会主義のからみ、だとかね、そういう形の様々な資本主義のあり方が同時に、同時に存在している、という状態しか想定できないね、地球上にね。
ただ、もし地球上のあいだの、昨日話したみたいに、国境というものがなくなっていくような形になっていくとすれば、その多様な形の資本主義がどう絡み合って、どういうふうに繋がってどういう関係性をもっていくと、バランスのとれた、全体から見ていってね、できるだけ格差の少ない富のディストリビューションができる資本主義の形になるのかな、というのをぼくは探そうとしているところで、通貨社会の問題なんかすごく大きくでてくるんだよね、そのへんでね。
通貨で、普通いま現行の通貨でいいのか、ということも出てくるから。もうあなたも知ってるように、実際に現状の社会全体の経済状態を見ていくと、要するにバーター、バーターとは物々交換、バーター経済がやっぱりいまでもぼくはね、人類の経済状況を根本を全部支えていると考えているんだ。貨幣経済よりも。

伊藤:現状でも?

現状でも。地球全体を見ると。基本的にはやっぱり経済活動の基本はバーター、物々交換、だとぼくは見てるんだよ。

伊藤:それはアメリカとかでもですか、日本とか。じゃなくて?

一緒。アメリカも日本も。アフリカの大後進国と言われてるところも、アマゾンのど真ん中の部族たちも。

伊藤:ということは日本でも、物々交換が基本?

そうだよ。そう認識してないの?考えてみなよ。家庭を見てごらん、旦那さんが外で仕事をしていて奥さん何してる?あれ物々交換してるんだよ(不明 7:34)家庭の仕事全部やってんだよ。で子供つくって。あれもう完全に物々交換の世界だよ、それなんかは。そういったこと全部組み込んだこと言ってんだよぼくは。

伊藤:ああ、その貨幣が。。

それをさ、それをほら貨幣経済に換算して計算したりする研究所があったりするじゃんか。要するに家で奥さんがやってる家事を普通に社会でやってるものに還元するとどれくらいのあれになるか。ぼくはそんなことやったってしょうがないとは思うんだけど、そうやって見ていくと相当膨大になっていくんだよね。それも評価を相当下げたうえで膨大になってくる。それ以外にも物々交換はものすごく行われているから。アジアなんかもっと激しいけどね、やっぱり西洋に比べるとね。でも西洋でも十分にあるから。
だからそうようなことを全部加味したうえで考えていこうとしてるから。そのテーマで言われたって全体像を語るのは大変だよね。だから時間かかるんだよ、長ーい本になるし。

伊藤:じゃあ今回のその、いま書こうとしている本ではどういうふうに絞っていくんですか?どこに焦点をあててるんですか?資本主義という章で。

資本主義という章でどういう焦点を?

伊藤:はい。

それどういう意味?

伊藤:えーっと、資本主義という章で、書こうとしている。。

章立てにするかどうかわからないよ。

伊藤:あっそうなんですか??

そうだよ。

伊藤:本の章じゃないんですね?

全然違うよ、それは。もう何冊もの本を書こうとしているから。

伊藤:ああそういうことですか?ぼく一冊の本の目次だと思ってました。。

ぜんぜんちがう。そんなんでおさまるわけないじゃん。昨日言った4つの、ことば、資本主義、民主主義、ヒューマニズム、それぞれのテーマに何冊も必要なんだよ。

伊藤:はあ。。ぜんぜんちょっと間違えてました。

それぞれのテーマに何冊も必要。で、どっかでその全部のテーマを簡単にまとめて何か書くかもしれないけどね。それぞれのテーマに全部必要なんだよね。章立てとかそういうのではぜんぜんないんだよ。

伊藤:あー、じゃあちょっともうぜんぜんやりかたを変えますね。
ぼく一冊の本のことだと思って。。考えてました。

そういうことじゃぜんぜんないんだよ。

伊藤:じゃあちょっと聞き方変えます。えー、じゃあ、いま興味があるのは、吉福さん昨日、光が、先に光が見える、見えるかどうかが大事っていうことで、吉福さんは見てるって言ってたじゃないですか。

うん、ぼくが言ってるのは、光があるんだって。これでどん詰まりじゃないし、これで例えば資本主義が完成してるわけでもないし、民主主義が完成してるわけでもないし、ことばが完成されてるわけでもないし、ヒューマニズムが完成されているわけでもない、みんな未完成。みんな実験。ぼくからすると資本主義も未だ実験されてる。民主主義も実験されてる。ヒューマニズムも実験されてる。ことばも実験されてる。いま実験場なんでこの実験はまだまだ続きます。
で、この実験をまだまだ続けていけば、その実験した上で突き抜けられる可能性は十分にあります、とぼくは思ってるんだ。で、それを光がありますよってぼくは言ってる。
だから実験だから、実験はたくさんの犠牲を伴うから。資本主義の実験は犠牲をたくさん伴ったでしょ?人がたくさん死んでってるでしょ?例えばね、ついこないだだったら中国のおもちゃ、トーイメーカー、の人が自殺したりしたでしょ。。あ、知らないんだ?

伊藤:知らないです。

中国製のおもちゃに問題あるの知ってるよね?鉛使ってていっぱいリコールが起こってるの知ってるよね?で、中国の製品がいっぱいいま世界中で問題になってるの知ってるよね?

伊藤:あっ、それ知らなかったですね。

アメリカではさ、いまさ、スティッカーがたくさんスーパーマッケットの中にあってさ、でかい。チャイナフリーって書いてあるんだよ。

伊藤:中国製じゃないと。

「中国製はどこにも入ってません」。それやらないと買わない。食べ物からさ、そういうような状況があって、で中国政府は要するに(不明 11:37)
あの社会はまだまだぜんぜんほら、統制取れてないから。で、自殺する人とかいろいろ出てくるでしょ。いっぱい犠牲が起こるって言ってんだよ、そういう実験ではね。いっぱい犠牲が起こるだろうけど、この実験はどんどんまだ続けていかなきゃしょうがないし、この実験を続けていけば突破口は必ずある、とぼくは見てるんだよね。
突破口というのは要するに、できるだけ、できるだけよ?地球上に存在する、70億の人が存在しているとしたら、できるだけ数多くの人に最低限のレベルの生活がなんとかできて、精神的にもある程度余裕ができるような生活レベル?ひとそれぞれの人が、その人の持っているポテンシャル、能力、可能性、といったものがある程度、すべての人が実現できるような社会、をつくっていく可能性は十分にぼくはあると思ってんだ。人というのはぼくはそこまで愚かだし、そこまで賢明だと考えてるんだよね。
愚かさは十分に愚かだけど、賢明さも十分に賢明だから。人間は十分にできると思ってるんだよね。だから希望はあると言ってるんだよ。

伊藤:うーん。。

だから全部で、見方はね、人類はまだ実験してるんだと見たほうがいいんですよ。

伊藤:実験している。

うん。この地球上で、もっと永く生き延びてもっと繁栄していくために、種としてね、繁栄して他の種とも仲良くしていくために、いろんな実験を繰り返しているだと。それぞれ実験しているひとの思いはまったく違うかもしれないけど、人類は総体として、人類という種をね、ひとつの生き物としてたとえば見る目をもつことができれば、実験してんだよ、内部で。そのひとつの種のなかで一生懸命実験してんだよ。どうすればうまくいくんだ、どうすればうまくいくんだって。で、実験していっぱい失敗してんだよ。で、失敗が起こったり自殺が起こったりするたびに内部でもめてんだよ、人類と呼ばれる内部で。で、内部でこいつがいけないんだ、この国がこうするからだ、で、戦争を起こしたりしてんだよ。でも総体としては実験なんだよ。
その総体全体がなんとか生き延びれる、その自分を取り囲む環境、ということはこの地球だよね、地球の生命圏、地球そのもの、との関係の中でどうやってやっていくのかって、っていうふうに実験をしてきたんだよ。

伊藤:じゃあ、経験が積みあがってきているっていうふうに見てるんですか?これからも。

これからも同じだよね。十分にやっていける可能性がある。やっていくっていってんじゃないんだよ、ぼくは。やっていく可能性は十分に人類が持っているとぼくは思ってるんだよ。

伊藤:じゃあ短い20年とか30年というスパンで見たときに、何か、いま例えば日本の社会に対してアイデアがありますか?投入するアイデアが。こういうとこ見逃してるんじゃないか、とか。

20年とか30年の?

伊藤:そうですね、ある程度短いスパンで、見届けられるくらいのスパンで。

何に関して?何を言おうとしてんの?

伊藤:経済ですかね。

経済に関して?これからの20年か30年間の間、日本が進む経済の道?プロセスに関して何か見逃してるところ?どういうこと?

伊藤:んー、さっき言ったその再配分がうまくいって。。まあ日本社会みんな、不安が高まってると思うんですよね、生活することに対して、とくに老後とか。
で、すごい内部でもめてるっていうか、心配の塊みたいになってみんな生きてて、たくさんの富が全体としてはあるのに。。

わかった。

伊藤:はい、そういうことを。。

あのもう、ひとつはもう明確だよね。人類全体の状況に対する視線の投げかけかたが徹底的に足りない。まずそれがひとつ。
ぼくは自らを、自らの生活状況、日本という国の中での自らの生活状況を見るときにね、必ず世界中の他のところにいる人たちの生活状況としっかりとぼくはこころにとめた上で見なきゃいけないと思うんだよね。
ほら日本は豊かでさ、余裕があるって言ったでしょ、さっき。余裕があるのにまだ文句ばっかりいってんだよね、内部では。でも他のところを考えたらそうじゃないじゃない。じゃあそっちのほうに目を向けなきゃいけない。ぼくは別にそういうところにお金をどんどんあげてね援助することを勧めてるわけじゃぜんぜんないんだよ。視線をそっちに向けるってこと。常に人類という全体像に対する視線を向けた上での日本だからね。それが足りないと思う。わかるかな?日本を、自分を見るときに、こうやってさ、自分を見るときにこういうフィードバックで自分をみるじゃん?そのときにこう回ってるここに人類全体像を必ず考えるべきだ、という目で見ていったほうがぼくはいいと思うね。

伊藤:具体的にはそれは国際状況を知っていくってことですか?いろんな国の状況、実態を。

いま情報はさ、どんどん入ってくるじゃんか。実体を知るっていうことから始まっていく。自覚、知らないとわかんないもんだから。全部行くわけにもいかないしね。知ることから始まる、という気はしますけどね。
でも日本なんかはさ、比較的さ、それでもよーく見てるほうなのよ。昨日話したでしょ、この国なんかひどいもんなんだって。個人は。(不明 17:35)何が(不明)か知らないんだよね。日本なんかよく知ってるほうだと思うんだけど、もっと。もっと。とくに経済政策なんかやるときには、もっとしっかりと目を向けたほうがいい、っていう気はしますね。

ただ、この2〜30年間だったらやっぱり国家、バランスがとれた健全な国家をつくることが当然目標になるべきなんだ、身近な目標としては。経済的な基盤をもった健全な国家を、目標とすべきで、そのずーっと先に昨日話したみたいな、国境のないようなね、そのような世界を見ればいいと思うんだけど、健全な形の国家をつくるという上で見ていくには、世界全体の中で日本はどういうところにいるのか、どういう立場にいるのか、ということをまず考えていかなきゃいけない。その視線の投げかけかたがさ、角度がちょっとしっかりしてないと思うんだよね。それが、大きなポイントかね、もし日本が経済的なあれからいま足りないってのはね。まあ他にもいくつも出てくるけど考えれば。

日本のほら、要するに経済を含んだ政治的なところを見ていくとするならさ。。。どういう風に話せばいいのか。。やはり遠くを見てる人がね、少なすぎるんだよ。経済人と政治家の中にも。はるかかなたにね目が向いてる人がほんとに少ないんだよね。すごく優れた人でも日本中心にものを見ていたりするから。その気持ちはよくわかるんだけど、もっと遠くを見たほうがいいと思うね。で、経済ってことになってくるとどうしても目先の利益がどうしても最も(不明)な形になってくるけどね。